本日、深夜と言うか早朝、「2024.パリ・オリンピック」、のセレモニー(開会式)をTV生中継で視聴した。

 激しく降りしきる雨の中、各国選手団を乗せた夥しい数のボート(主としてバトームーシュ)がセーヌ川を下流に向かって航行。

 その船列を歓迎するかのように、両岸に造られた特設ステージでは大音量のロック・ミュージックに合わせ、ヒップホップ・ダンスが繰り広げられていた。

 船が通過する橋の上では、ピアノ演奏にファッションショー、細長~く、高~いポールの上部先端に掴まってしなる多くの女性達に、思わず、「折れなければ良いが……」、と心の中で祈った。

 

 様々な趣向を凝らした?出し物が、これでもか、これでもか、と途切れることなく続くTV中継を眺めていたが……。

 残念ながら、「フランス・パリは、芸術、文化、ファッション、そして花の都」、の触れ込みとは少し違った趣のセレモニーに感じられた。

 

 特別目を引く真新しいコンテンツは無く、元より期待していなかったので外れとは思わないが、「何となくなあ~」、が正直な感想だ。

 

 唯一の目玉演出、参加国の選手団がセーヌ川をボートで行進?する大胆な企画も、悪天候の影響で思ったほどの盛り上がりには欠けていた。

 驟雨で企画そのものの魅力が半減したのは事実だが、それにしても、其処ら中で鳴り響く大音量の音楽と踊りが騒々しいだけで、似た出し物、テンコ盛りの悪乗り?ぶりだあ~。

 

 料理に例えるなら、前菜やスープがなく、いきなりメインの安直な肉料理で、食べ終わるや否や次も同様肉料理、今度は食べ終わらない内からまたまた安易な肉料理、と矢継ぎ早に工夫無しのこってり料理ばかり。

 胸焼けがしたと言うか、辟易した次第。

 

 土砂降りの雨中で、セーヌ河畔に急造した数々のステージで踊る連中を見ていると、皮膚の色や、踊りの種類、規模は違えど、何故だか、北朝鮮のマスゲームとの相似性に気が付いた。

 何処の国も団体パフォーマンス(マスゲーム)は似たり寄ったりだ。

 

 北朝鮮がフランスに肩を並べる程素晴らしいのか、フランスが北朝鮮並みとみるべきか?(笑)

 

 前回の東京オリンピックでも思ったのだが、そもそも、オリンピックは、世界の国別対抗スポーツ競技大会だろう。それなのに、開会式には派手な音楽やレーザービーム、著名なミュージシャンやダンサー等は必要か?。大した売り物(文化遺産)が無い東京(五輪)やリオ(五輪)ならこの様な陳腐な演出も分からないではないんだがなあ~。(笑)

 

 文化遺産の宝庫、花の都パリ大会で、外側(セレモニー)をコテコテに装飾する必要があったのだろうか?。もう少し落ち着いた上品で良質な演出がパリの雰囲気に合うと思うのは私一人か?。

 

 大型モニターで、オリンピック発起人・クーベルタン男爵の紹介もなされていたが、男爵ご本人は、外側、セレモニーの華美装飾よりも、内側、スポーツの持つ本来の魅力を引き出すようなイベントを望んでいたのでは?。

 大腸菌がウヨウヨと言われるセーヌ川でのトライアスロン競技実施は本末転倒だろう。

 草葉の陰でクーベルタン男爵の微苦笑が目に浮かぶ。(笑)

  

 ミュージック&ダンス、最後はレーザービームによる光の乱舞と、スポーツとは程遠い演出には首を傾けてしまう。そして、そのどれもが想像の範囲内、独創的なアイデアは見られない。

 都庁プロジェクションマッピングと大差ないんだよなあ~。

 小池狸のしたり顔が目に浮かぶぜェェェ~~~。

 

 強いて探せば、空に浮いた聖火台。

 後始末というか、競技期間中はあのまま、と言う訳にも行かないだろうに。

 

 何れにせよ、煩(うるさ)いのと、勿体ぶった演出、ここぞとばかりの自己顕示欲満面?の関係者による長挨拶には鼻白むばかりだった。

 これが芸術や文化、花の都、パリ、のオリンピック?。

 平壌もリオも東京も、パリと大差ない、と言ったところか。(笑)

 

 オリンピックはスポーツ競技大会。

 セレモニーに趣向を凝らすよりも、個々の競技に関心が向くような構成が必要だろう。

 

 昔訪れたパリ。

 花一杯のルクセンブルグ公園に、マリー・アントワネットが最後を過ごした和風庭園を抱えるプチ・トリアノン。

 パリ郊外、ロワール川沿いのシュノンソー城(バロック)、シャンボール城(ロココ)、共に花に囲まれた「花の都、パリ」を体現するかのような場所だった。

 

 数多の素晴らしい文化遺産の残るパリ。生かす方法は幾らでもあったろうになあ~。

 光や大音量の音楽、現代テクノロジーは人間の五感、脳を強烈に刺激するが、良くてその場限りの快感、悪くすると良識を破壊する危険な代物だ。

 一方、文化遺産や芸術は、心(第六感)を刺激、静かだが長く穏やかに共存、上質な情操を提供してくれる。

 

 「花の都、パリ・オリンピック」には、後者を追求してほしかったなあ~。

 

  嘆きはともかく、日本選手には頑張ってほしいと願うばかりだ。

 アスリートの活躍は国民に大きな希望をもたらし、国や社会が一時でも一つになり、ギスギスした殺伐な空気が和む。

 

  スポーツの力を信じ、日本参加選手の活躍を望んで止まない。

 

  話は変わるが、何時から「花ではなく、愛の都、パリ」になったんだあ⤴?。