歌舞伎界のスーパースター、猿之助の一家心中(一部未遂)がようやく事件として動き出した。

 生き残った猿之助が母親の自殺幇助で逮捕され、父親の方は捜査中で、殺人罪が視野に在るとか。

 富と大いなる名声に包まれ、順風満帆だった大人気歌舞伎役者の人生が一気に暗転、奈落の底へと真っ逆さま。

 原因は猿之助の性癖を含むスキャンダルを報じた週刊誌の記事だとか。

 もし、猿之助個人のスキャンダルが無かったなら、両親共に死ななかったと考えれば、やはり「親殺し」、と言われても致し方ない。

 

 閑話休題 

 市川猿之助を「メンバー」と呼ばず、「容疑者」と連呼する恥知らず、TV情報番組のお調子者達がここぞとばかり、喋る、喋るwww。

 

 「人の不幸は蜜の味」とばかり、TV屋の放送姿勢には鼻白む。

 法律関係、薬剤関係、警察関係、と、「真相に迫る」、なるテーマを掲げ、「あ~でもない、こ~でもない」、と喧しい事この上ないが、全て警察発表の情報からの推測。その想像力の逞しさには呆れてしまうが、感情論を剥き出しの断定的擁護を強弁する弁護士のセンセまで現れる始末。

 恐れ入谷の鬼子母神だあ(古~い)。

 

 猿之助本人のパワハラ、セクハラも取りざたされ、特異な彼の性癖迄フルオープン。

 恥と思うかどうかは別にして、これはプライバシーの侵害に当たらないのだろうか?。

 反論や抵抗できない今の猿之助に対する報道は完全なやり過ぎだわなあ~。

 「社会的に影響がある」、と年輩コメンテーターは宣うが、社会にどんな (悪)影響があるのか教えて貰いたいもんだ。

 一般庶民の好奇心を煽り、単に視聴率の為だけの下卑たノゾキ趣味的放送が社会云々とは笑わせる。科学的裏付けを取った上で話すのがジャーナリズムで、憶測や思い込みで喋るのは娯楽、バラエティ、報道とは言えない。

 

 ついでに指摘しておきたいが、歌舞伎は伝統芸能だが、歌舞伎役者はそれを演じるただの人間。一緒にして、勝手に神格化?しては駄目だ。

 また、近松門左衛門作「曽根崎心中」が歌舞伎の演目であり、今回の心中事件は、現実と演目を混同した、などとトンチンカンな論評は一体何が狙いだあ~?。

 曽根崎心中のオリジナルは、遊女と醤油屋・使用人の悲恋を描いた人形浄瑠璃の傑作。現世では結ばれぬ恋仲故、あの世で一緒になろうと死出の道行する男女の恋情を描いた話。

 

 スキャンダルを苦にして、それから逃れるための道連れ心中とは、失礼だが、純粋さや心根、背景も全く違うだろう。

 真相を見えなくするようなフザケタ発言は慎めっ!と叱責しておきたい。 

 

 一方、神戸西区で起きた4歳児の殺害事件。度重なる暴行の挙句殺害、キャリーケースに入れて草むらに放置とは……。あまりにも惨い仕打ちだ。

 殺害された幼児の母親は兄妹4人とその母親(祖母)と暮らしていたが祖母も暴行を受け押入に監禁され、幼児はこの家で暴力の犠牲になったとの事。

 

 その昔、「親殺し子殺し」は大罪とされ、罪の重さ(尊属殺人罪)もさることながら、所謂道徳観念、「親を敬い、子を慈しむ」、が日本人の原点だった。これが大きな抑止力となっていたのだが……。

 

 自分の当選しか考えない下品で低レベルの政治屋が牛耳る日本社会。道徳はすたれ、倫理は遥か彼方へ。

 自民党政治が作り上げた「今だけ、金だけ、自分だけ」、の歪んだ社会。

 

 個別の案件対応ではもはや解決し得ない状況だ。道徳観念、倫理観の醸成や改善には長い年月が必要。

 今こそ政治家が襟を正し、国家国民の事を優先して考える姿勢を示して欲しい。

 国民も、自分以外の人達に思いを馳せる、豊かで思いやりの有る、まともで普通の社会実現が待たれる。