青州兵達は皆、必死だった。怠惰なものなど誰一人としていない。曹操にはそう見えた。ただ軍規に従う、という概念がないのだ。青州兵達は何かに心駆られて、戦う。曹操に分かっているのはそのことだけだった。その何かを理解したいがために、青州兵に様々な調練を課した。
戦の調練だけではない。土木や治水、屯田(兵が農作物を生産する)などの任務を与えた。呂布との抗争で十分な時は与えられなかったが、曹操はあらゆる手段で、青州兵との関係を築こうと試みた。
中でも、屯田は興味深かった。
普段は荒くれ者の青州兵でも、農具を手にすると、献身的に農事に勤しむのだ。
もともと黄巾の乱は、貧困から生まれたものでもあった。腐りきった宦官の政治が農民に重い税を課し、役人は自らの出世のためにその税をくすね懐に入れた。当時は銭でいくらでも官位が買えたのだ。黄巾賊の中には、そのような役人への不満から立ち上がる者もいた。あるいは、ただ暴れるための口実として黄巾党を名乗る者も多かった。
真摯に屯田に従事する青州兵の姿を見ていると、彼らが求めているのは、真の安寧なのだろうかと思えてくる。慎ましく生きて行こうとする願いを、今まで踏みにじられ続けてきた。その心の闇は深い。それは中華の民すべてに言えることだろう。だから曹操は天下を統一し、戦乱を終わらせなければならない、そう思っていた。
天下。今まで誰にも語っては来なかった。天下を語るには、自分はまだ小さすぎるからだ。兗州牧になり、一州を治めてはいるものの、常に外敵に晒され、吹けば飛ぶような命だ。天下を思う気持ちは、今はただ、胸にしまっておけばいい。
「惇、おまえは左目を失い、心の在りようは変わったか?」
「なにも。ただ、曹孟徳を天下に押し上げる。その想いは、以前より強くなった」
夏侯惇とは、二人きりの時は名で呼び合う。余人を交えた時は、殿、夏侯惇、と呼ぶ。そして天下への想いは、語らずとも理解しあっていた。
夏侯惇は生粋の軍人である。名門夏侯氏の嫡子として生まれ、曹操とは従弟である。名門とは言っても、袁紹の様に身分を鼻にかけることもなく、義侠心があり、身分よりも能力で人を判断する。それは曹操の考える、理想的な人の在り方に見事に当てはまり、旗揚げ以来、君臣の関係以上に信を置いていた。兵の統率や指揮の判断、作戦遂行能力は臣下随一であり、夏侯惇がいるからこそ、曹操は自由に軍略を組み立てることができる。
夏侯惇がそこまで見事な軍人であるからこそ、目の前の青州兵の振る舞いは、理解できないものなのだろう。本来兵が備えるべき素養を、青州兵はまったく備えていない。青州兵は元黄巾党、中黄太乙を神に崇める信徒だが、曹操は宗教以上に、青州兵の心に別の何かが巣くっているのではないかと感じていた。それが、曹操が青州兵を麾下に加えた理由でもあった。