思えば、今まで自分が食ってきた野菜は、こうやって育てられたものなのだ。軍にいた頃は、兵糧は軍から支給されてきたし、岩山に住んでいた時は、狩った鹿の肉と野菜を蒙古の民と交換してきた。岩山を出てからは、玄旗隊(げんきたい)ともども梁山泊の世話になった。

 狩り以外で、食い物を自分で調達したことなどなかったし、その方法も知らなかったのだ。考えてみれば当たり前の事だった。

 自分で使う器も、食うものも、住む場所も自分で造る。そう思えば、様々なことに関心が沸いてくる。今度()(しん)に、釣りの仕方を教えてもらおうか。自分は人として、知らないことが多すぎるのだと、最近思うようになった。

 史進はここ()午山(ごさん)で、鍛冶や大工、料理人、農家といった民の技術を習得し、日々の生活を己で支えている。民というものの営みに、没頭していたのだろう。

 ひょっとして史進は、ひとりの民になろうとしているのかもしれない。

 戦に明け暮れた人生の終わりに、人としての本来の営みで、自身を癒そうとしているのだろうか。茄子の芽をみた胡土児は、確かに命の喜びを感じた。

「胡土児、明日、()(りょう)延景(えんけい)と立ち会ってくれ」

 今日の史進は、珍しく杯を重ねていた。

「俺でよければ、いつでも」

 史進は毎日、二人の鍛錬をしているが、それは武の鍛錬というよりは、ただ二人の打ち込みを捌いているだけで、言ってみれば体力練成のようなものだった。

 もし、史進が少しでも武の気を放てば、二人は息ひとつも立っていられないだろう。もし、二人が今まで行っていたのが武の鍛錬だと思っていたのなら、実戦になった時、まず死ぬ。

 史進は胡土児に、二人にそれをわからせて欲しい、と言っているのだ。

 やはり史進は、自分の人生において、武というものを消そうとしている。それは少し、胡土児に寂しさのようなものを感じさせた。

 翌日、いつものように史進に相手をしてもらえると思っている二人が、棒を片手に練兵場に駆けてきた。史進は少し離れた岩に、腰かけている。二人の前に立ったのは、同じ棒を持った胡土児だった。

「悪いな、今日の相手は俺だ」

 二人は少し戸惑ったようだが、すぐに闘志を放ち始めた。

「胡土児殿、よろしくお願いします」

 二人が同時に声を上げた。その元気な姿を見た胡土児は、少し憂鬱な気分になった。武に元気さなど、微塵も必要ない。

「まず二人に聞きたい。なぜ武術を鍛錬する?」

「俺は、この子午山の集落を守るため」

 すぐさま祖亮が言った。

「お前は?延景」

「ただ、強くなりたい」

 延景が、うつむきながら言った。

「なぜ?」

「弱いままでは、いけないからです」

 延景が、そう言って顔を上げた。その眼が、燃えている。

 ここ子午山の集落は、梁山泊の戦争孤児が集められている。この二人にも、おそらく辛い過去があったのだろう。胡土児はそれを、訊こうとは思わなかった。辛い過去はどうあれ、それをどう受け止め、そこからどう行動していくかが、大事だと思っているからだ。

 史進は腰かけた岩から、遠くの景色を眺めている。

「よし、打ってこい」

 その言葉と同時に、二人が打ちかかってくる。

 胡土児が、気を放った。

 その瞬間、ふたりの動きが何かに弾かれたように止まった。身体が(おこり)のように振るえ、呼吸が荒くなり、全身から汗が吹き出した。そして祖亮が膝を折り、延景は白目を剥いて倒れた。

 胡土児が延景に水をかけると、延景は跳ね起きて棒を構えた。二人とも何が起きたか分からず、怯えたような表情を浮かべた。胡土児がまた気を放つ。今度は二人とも、倒れた。

 二度、三度と同じように対峙すると、二人とも立っているのもやっと、といった感じになった。

 胡土児は棒を収め、ふたりの肩に手を置くと、二人は地にへたり込んだ。

「今日はこれまでだ。せめて一刻、俺と向き合えるようになれ。いいな」

 二人は返事をする余裕もないようだ。力ないまなざしが返ってきた。

 史進が立ち上がり、去ろうとした。

「これで、よかったのですか?史進殿」

 胡土児は史進の背に、声をかけた。

「ああ、礼を言う。胡土児」

「どちらへ?」

「刀を、磨いてくる」

 そう言うと、史進は振り返らずに、去っていった。