路銀が尽きると、力仕事などして日銭を稼いだ。懸命に働いている間だけ、(かい)(りょう)(おう)の事を忘れていた。夜になると僅かな酒を飲み、眠った。

 ある日、一緒に荷を運んでいた仲間が足を滑らせ、荷が落ちて(こわ)れた。仲間は親方に阿列(あれつ)が荷を落としたと言い募り、それを信じた親方が阿列を殴り倒した。それで阿列は仕事を干された。阿列はその日のうちに、その城郭(まち)から去った。

 山道を歩いていると、三人の男が阿列の行く手を遮った。後ろにも二人。男たちは皆、山刀を手にし、にやにや笑っていた。男たちが手にする山刀は、どれも薄汚れていた。人を殺して(たの)しんでいる、そんな人間なのだろう。

 男が一人ゆっくり近づいてきて、山刀を振り上げた。

 これで死ねる、そう思った。

 躰が勝手に反応していた。刀を紙一重で(かわ)し、剣を抜きざま男の身体を下から両断した。はずだったが、剣そのものを持っていなかった。阿列の腕が、むなしく空を切っただけだった。

 男たちが、笑い転げた。

 突然、胸の奥から熱いものが込み上げ、それが爆発した。

 男の鳩尾(みぞおち)に拳を打ち込む。背骨が砕ける感触が、拳に伝わってきた。身を翻し、隣の男のこめかみに、肘を打ち込んだ。頭の反対側から脳漿(のうしょう)が飛び出し、男は木偶のように(たお)れた。

 それを見て恐怖に駆られた男が、叫び声を上げながら出鱈目(でたらめ)に刀を振り回し、暴れた。あとの二人は腰を抜かし、尻餅をついている。一人は失禁していた。

 暴れた男のひと振りが、阿列の胸を袈裟に切り裂き、血が噴き出した。その血を阿列は自分の拳に浴びせ、暴れる男の顔面に叩き込んだ。男は二転、三転と転がって、動かなくなった。拳には、頭蓋が砕ける感触が残っている。

 阿列は腰を抜かした男に近づき、しゃがみ込んで顔を覗き込むと、その顔に、自分の血を塗りたくった。

「これが、お前たちが見たかった血、なんだろう?」

 男はそのまま気を失い、失禁した男は、地を這って逃げていった。

 阿列は、襟に仕込んであった針と糸を取り出し、胸の傷口を縫った。そして血を拭うと、脇に生えていた(よもぎ)の葉を山刀の柄ですり潰し、傷口に塗って、死んだ男の衣服を割いて胸に巻き付けた。

 阿列は岩に腰かけ、一息ついた。すると胸の熱いものは、すうっと消えて行った。

 振り返ると、身体がくの字に曲がった男と、脳漿を地面にぶちまけた男の死体。

 それを見た瞬間、阿列の心は、恐怖に包まれた。

 阿列は、ひいっと声を上げ岩から転げ落ち、腰が立たなくなった。全身が震え、冷たい汗が全身に吹き出し、顎はかたかたと音を鳴らした。

「来るな、来るな」

 阿列は足を藻掻(もが)き、後退り、少しでも死体から離れようとした。

 右手に、糊がへばりついたような違和感があり、見てみるとその手は、血で真っ赤に染まっていた。

 

 温もりで、目が覚めた。

 いつの間にか陽は落ちたようで、あたりは暗い。阿列の眼にぼんやり見えたのは、焚火の火だった。

 男が二人、焚火を囲んでいた。けものの肉を焼いているのか、いい匂いが漂っている。それは、阿列の空腹を刺激した。

「まさか、こんなところで会うとはな」

 男の一人が言った。顔は暗くてよく見えない。

「ほんとうに、あの阿列なのでしょうか」

 もう一人の男が言った。若い男のようだ。

「俺は一度剣を交えた男は、決して忘れはしない。お前だって一度、ひねられているだろう?」

 この男たちは何を言っているのだ、阿列は、そう思った。

「全然別人ですよ。放つ気が、まったくない」

 二人の男は、どちらも隻腕だった。若い方は、義手をはめている。その義手は焚火の光を反射し、鈍く光っていた。阿列が身体を起こすと、二人の眼が、阿列に向いた。

「おい阿列、こいつはひどい男だ。命を懸けて戦ったお前の事を、忘れていやがる」

 年長の方の男が言った。

「私は確かに阿列という名だが、あなた方に見覚えはないのだが」

 ほら、というように、若い男が年長の男に顔を向けた。

「おいおい、この腕を見ても何も知らないというのか?」

 年長の男が、右腕を上げた。その、肘のあたりから先はなかった。阿列はその切り口を、まじまじと見つめた。

「戦か何かで失ったのかな。剣で断たれたような、鮮やかな斬り口に見える」

 年長の男が、ため息をついた。

「まあ、いいか。俺の名は岳霖(がくりん)という。こっちは耶律哥(やりつか)だ。阿列、お前はなぜ倒れていた?」

 確か山中を歩いていて、刀を持った男たちに囲まれた。だがその後のことが、思い出せない。阿列はうつむいたまま、黙った。