帝殺し。世間ではそう言われていることだろう。そんなことよりも、事実として海陵王を死に追いやった事が、時が経つにつれ阿列の心に、澱として積もっていった。
それを、無理に払拭しようとは思っていない。その澱が、時と共にどうなろうと、阿列は受け入れるつもりだった。澱が己の心を蝕み、死に至らせるのか、それとも糧となってなにかの力となるのか。それは、時が経ってみないと分からない事だった。そもそも生きていられるとも思っていない。帝殺しなど、死罪以外、ありえるはずもなかった。
阿列は海陵王の最期を見届けると、血に染まった海陵王の剣を手に取り、本堂を出た。そのとき胡土児が背後から、人は業を背負う必要などないのだ、と声をかけた。
阿列は一瞬歩みを止めたが、またすぐに歩きだした。
海陵王のわずかな供は、血に染まった剣を携えるその阿列の姿を見て、事態を悟り、その場に頽れた。抵抗する者はいなかった。もし斬りかかってくる者があれば、その刃を素直に受け入れただろう。
本堂には火を放ち、それが跡形もなく焼け落ちたのを見届けると、阿列は燕京への帰路に就いた。その途次、王祥はしきりに阿列に熱く語りかけていたが、耳には入ってこなかった。ただ海陵王の最後の言葉と姿が、反芻していた。
なぜ海陵王に造反したのか。岳霖、秦容、呼延凌。彼らとの戦がそうさせた、としか言いようがなかった。阿列の心に何かが語りかけ、何かを変えたのだ。心の奥から光が発し、阿列を貫いた。
海陵王に対する造反が、正しいことだとも、正義だとも、金国の民のために為したことだとも思っていない。己の声に、ただ従っただけだ。
その意味を考える時が与えられたことが、意外だった。
燕京に着くと、阿列は烏禄の元に出頭した。
文武百官が居並ぶ朝議の場で、阿列は軍人としての地位の剝奪と、放逐を言い渡された。阿列は終始平伏し、烏禄の顔を見ることができなかった。
朝議の後、阿列は烏禄に別室に呼ばれた。
部屋に入ると、阿列は初めて烏禄の顔を見た。その眼の奥に湛えられた、深い光のようなものに、阿列は心を奪われた。
烏禄は、阿列の行いについては一切触れず、一年後に必ず呼び戻す、とだけ、言葉を発した。阿列は何も答えず、黙って平伏して部屋を出た。いや、何の言葉も発せられなかった、と言った方が正しい。不遜なのは承知の上だったが、そうするしかなかった。咎められたとしても、異論はなかっただろう。
その後、阿列は王祥に、故郷を託した。王祥は一緒に帰郷するよう、怒鳴るように阿列を諭したが、石像のように固まった阿列に根負けして、黒騎兵と共に、臨潢府に帰っていった。
阿列は馬と剣をも王祥に預け、僅かな路銀を手に、燕京を出て南に向かった。
目的地は、寿春である。
梁山泊軍と行動を共にすると決めた時、秦容が一騎で駆け寄ってきて、全てが終わったら寿春郊外の倒梁寺に行けと言った。そこに何があるかは、訊かなくても分かった。
城郭から城郭へ、渡り歩いた。