「あんたのしていることに比べれば、俺のやったことなど、何ほどの事もないだろう」
「私が、何をしたというのです?」
「およそ、人知を超えた世の中を作ろうとしている」
「それは面白い。どんな世の中なのか、逆に伺ってみたいくらいです」
簫炫材がにやりと笑ったが、眼の光は変わらない。梁興はその光に、耐え続けた。
「中華のあらゆる物資を、その隅々にまで流通させる。国という、垣根を越えて」
「それは、轟交賈のことを言っているのでしょうか」
「物流という視点で言えばそうだ。だが俺が北で商いを初めて、ただの一度も、轟交賈という名は聞かなかった。つまり轟交賈など、中華では既に存在しないものとして、あるのだ」
簫炫材の眉が、ぴくりと動いた。
「昨年、梁山泊が、何故か領土を放棄した。その意味が、北で商いを初めてようやく分かったのだよ。梁山泊は轟交賈と一つとなり、中華から消えた。いや、見えなくしたのだ」
「私は轟交賈を手放し、蓄えもなくなったので襤褸を纏うしかなくなった、ただの襤褸ですよ」
「俺は穀物の施しをして、その値がどう動くか見ていた。施しに使った穀物は俺が長年かけて蓄えたものではない。その城郭の市場にある穀物を、人を使って贖い、そのまま施した。日時、刻限を決めて中華全土で同時にだ」
「なるほど、私は梁興殿に炙りだされた、というわけですね」
「一時的に上がった穀物の値が、この北京大名府を中心に鎮まっていった。つまり、かつて轟交賈だったものの中心が、ここ北京大名府に在る、という事だ。そして穀物の施しは、その中心にいる者にとっては、あってはならない出来事のはずだ。二度目、三度目は是が非でも阻止しなければならない。だからあんたは、俺の前に座った」
簫炫材が眼を細めた。
「梁興殿、あなたは素晴らしい才をお持ちだ。しかし、道を違えた。それは悲しむべきことです」
「商人が志を持ったのだ。後悔はしていない」
「あなたのしたことは、世をほんの少しだけ乱したに過ぎない。武人が死に急ぎ、蛮死するのに似ている」
「かつて、簫桂材と岳飛は、一騎打ちで戦の勝敗を決めようとした。これ以上部下を死なせないためだ。どちらかが必ず死ぬ戦いに臨んだ二人に、同じことが言えるのか」
簫炫材は眼を見開き、梁興を見つめた。梁興は声を上げて、湯を二つ頼んだ。すぐに湯を満たした椀が卓に置かれた。しかし二人はその椀に、目も呉れなかった。
「簫炫材、あんたのやろうとしていることは、何となくわかっている。梁山泊の交易の力と、轟交賈の物流網を掛け合わせて、物資の面で中華を安定させることだ。国同士の大戦や政治、凶作、天災などに左右されないために、その存在を巧みに闇に埋没させる。国はその闇の力を認知する事すらない」
簫炫材は、しばらく押し黙った。
「梁興殿、そこまでわかっていながら、あなたは自滅の道を行くのですか。あまりに、惜しい」
「簫炫材、おそらくあんたは、燕京で魯逸に謀殺されそうになった五年前から、この構想を描いていたのだろう。祖国遼を滅ぼした金国のために働いたが、金国に裏切られ、祖国というものを信じられなくなった時から」
「まるで、私の全てを知っている、というような口ぶりですね」
「俺はな、人が好きなのだ。時に悲しくなるほどにな」
「そして、あなたはその全てを懸けて、私をここに呼び寄せた」
「これほどまで壮大な構想を抱き、実際に中華の物資を、闇から操ってきた。驚嘆に値する。そんなこと、俺がどうひっくり返ったって思いつきもしないし、できもしないことだったろう」
「私一人の力ではない。梁山泊というものがあったからだ。そして、宣凱や王貴と言った梁山泊聚義庁の者たちと、それこそ血反吐を吐くような議論の末辿り着いた、境地でもあった」
「だがな簫炫材、あんたや梁山泊がどれだけ命を懸けてこの仕組みを作ったとしても、そんなものは、決して永続きはしない」
「なぜ?」
「はっきり言わせてもらう。志がないからだ」
簫炫材の眼の色が、明らかに変わった。
「私に、志がないと?」
「あんたじゃない。城郭の商人たちだ」
簫炫材の眼が、一瞬見開いた。