趙眘(ちょうしん)の武術指南の日である。戦が終わると、以前のように十日に一度の指南を依頼された。

 武具の扱いについては、すでに教えることはない。どんな武器でも触れただけで、どういう使い方をするかは、身体で反応して理解できるほど、趙眘は修練を積んでいる。あとはいかに実戦で相手の動きにどう反応するか、という段階である。

 政庁府の中庭に、特別に趙眘専用の練兵場が(しつら)えてある。帝なので当然と言えば当然だが、古今の武器が取り揃えてあり、どれも使い込まれていた。趙眘は一日二刻、必ずここで鍛錬しているという。

 岳霖(がくりん)が練兵場に着くと、すでに趙眘は槍をしごいており、寒い季節にもかかわらず、身体中から汗が噴き出ていた。その動きは悪くない。

「岳霖、待っておったぞ。この、槍を跳ね上げる動きが、よくわからぬ」

 趙眘が槍を(しな)らせて、相手の武器を跳ね上げる技を繰り返し行っている。躰と四肢の連動がうまくいっていないので、力がうまく槍先に伝わっていない。

「陛下、私は隻腕ゆえ槍は扱えませぬが、棒で同じようにしてみましょう」

 趙眘に槍を構えさせると、岳霖は剣と同じくらいの長さの棒を左手に取り、構えた。

 岳霖が低く踏み込む。足で地面を強く踏み込むと同時に、身体の芯を捻じりながら棒を跳ね上げた。

 趙眘が構えた槍は、弾かれて天高く舞い上がり、地に突き立った。

「なるほど、全身の力が爆発的に棒の先に集約する感じか」

 技の本質を一度で見抜き理解する能力は、天性の才を感じる。しかし岳霖の動きを模倣しようとするも、なかなかうまくいかないようだ。

「陛下、槍を選ばれたのは流石です。槍は百兵の王、と言われ、武器の中で最も優れているとされています。その分習得には年月を用意しますが、陛下なら短期間で極められることでしょう」

「ふむ、ここにある武器の中で、この槍だけが思い通りに扱えなかった。そこに関心を引かれたのだ」

「武術において刀は猛虎の如し、槍は龍が如く、と言われます。陛下は中華を舞う龍。陛下には槍がよくお似合いです」

 趙眘はそれを聞いて、少し鼻白んだような表情をした。

「岳霖、今後も指南をよろしく頼む。この技は、次までに習得しておく」

 趙眘は汗を拭いながら、練兵場を去ろうとした。

「陛下、その件ですが」

 岳霖は趙眘の背に向けて、平伏した。趙眘が歩みを止めた。

「なんだ」

「実は、お暇をいただきたく」 

 汗を拭っていた趙眘の手が、止まった。

「岳霖そなた、自分が何を言っているのか、分かっておるのか」

「陛下の信に背く事、万死に値します。獄につながれ、首を打たれても不平は申しません」

「朕に対してではない。国に対してだ。そなたは国の(いしずえ)、国の柱だ。よもや忘れたわけではあるまい」

「隻腕のこの身体では、国の期待に応える自信がございません」

「詭弁だ。そなたの真意を問う」

(じん)(ちゅう)報国(ほうこく)

「朕が、北伐を認めぬがゆえか」

 趙眘は背を向けたまま、岳霖は平伏したまま、沈黙が流れた。

「北伐は天の意思にあらず。そして盡忠報国は天に忠を尽くし、国の恩に報いるもの」

「そなたの国はここ南宋にはない、と?」

「我が祖国は中華。そう、思い至りました」

 趙眘は振り返り、平伏する岳霖の肩に手を添えた。岳霖は、顔を上げることができなかった。

「岳霖、朕も思いは同じだ。中華を一つの国にせずして、何が祖国だ」

「陛下」

「岳霖、面を上げついて参れ」

 趙眘が歩き出した。岳霖が頭を上げた時には、趙眘の背中は既に遠かった。武の鍛錬を積んだ者の歩みは、とにかく速い。趙眘の武が、すでに達人の域に達している証左だった。