瞬く間に近衛兵に近づいていく。疾駆する胡土児(コトジ)に気付き、慌てた表情の兵が大声で誰何(すいか)するが、構わなかった。戟を構える間に、胡土児は駆け抜ける。

 どうやら近衛兵は皆、漢族兵のようだ。恐らく海陵王を警護する任務で、戦闘の意識も覚悟もないのだろう。戟を構える動きにまったく覇気がない。具足の(れい)()さだけが、際立っていた。

 近衛兵の間に、徐々に混乱の気配が広がっていく。しかし胡土児に突きかかってくる兵は、一人もいない。

 輿(こし)が目前に迫ってきた。騒ぎに気付いたのか、輿の中からひとりの男が出てきた。胡土児は、一気にその男の前に躍り出た。

 海(かい)(りょう)(おう)

 胡土児と海陵王が正対した。()(こつ)の掲げる、ひときわ大きな『玄』の旗がはためいている。

 あたりがしん、と静まり返った。

 胡土児を見た海陵王の顔が、みるみる赤黒くなっていく。

「胡土児、貴様」

 海陵王が肩を震わせ、何とか声を振り絞った。

「海陵王、俺に何度も刺客を送ったな。俺を殺したいようだから、わざわざ来てやったぞ。さあ、俺を殺してみろ」

 胡土児の声が響く。

 捕らえろ、殺せ。

 今度は声にならなかったようだ。口だけが、そう動いた。周りの兵に動く気配はない。

「どうした。俺を殺さないのなら、俺がお前を殺す」

 胡土児は吹毛剣を抜いて、海陵王に向かって突き出した。近衛兵が弾かれたように輿の前を固め、戟を突き出した。

 胡土児が気を放つ。海陵王と近衛兵がたじろいだ。怯えているのが、はっきりと伝わってきた。

 胡土児は、急に鼻白んだ気分になった。

 この男を殺すのはたやすい。それで自分の心に、何か決着がつくのだろうか。やってみなければわからない。

 だがこの男を殺せば、とりあえずこの戦は、これで止められる。

 殺す。胡土児は意を決して馬の腹を蹴った。兵が後退り、海陵王が尻餅をついた。

 その時、突如一騎が胡土児と海陵王の間に飛び込んできた。

 阿列(あれつ)。息を荒げながら、胡土児を睨んでいる。胡土児もじっと阿列の眼を見つめた。

 無言のまま、しばらくお互いに何かを測り合った。いや、語り合った。そんな気がした。

 阿列が、おもむろに剣を抜き放った。その構えを見た胡土児の背筋に、冷たい汗が流れた。阿列の背後で、海陵王が震えながら、なにやら呟いている。赤黒かった顔面は、いまは蒼白になっている。

 胡土児は、静かに吹毛剣を、鞘に納めた。

「いこう。巨骨」

 胡土児は馬を返した。駆け出す二騎を追うものは、誰もいなかった。