火の勢いは想像以上に早く、激しく広がっていった。

西の牧があった地域は平地が広がっていて、()(しん)は往復するように駆けながら、燃える綱の結び目に火をつけていった。

 結び目に火を着けると、花のように火の粉が飛び散りながら、それぞれの綱に沿って燃え進んでいく。それが油をしみこませた板に到達すると、一気に火が噴き出していくのだ。

 すでに西の地域の半分は燃えている。最初は見張りの兵も見かけたが、火の広がりを見ると、恐れをなし駆け去っていった。今のところ兵が迫ってくる気配はない。

 南風も吹き始め、これ以上火をかけなくても、いずれ板は全焼するだろう。

 しかし羅辰は、結び目に火をかけることをやめなかった。自らの手で、この造船所の膨大な量の板に、火をつけたかった。

 一体何に(こだわ)ってこんなことをするのか。その自問は、燃える綱を編む作業に費やした、ひと月以上の間、考え続けてきた。

 紙に糊を塗り、硝石などいくつかの火薬の粉を混ぜ合わせたものを貼り付け、丸めて編んでいく。火薬の調合も何度も試して、最も安定して燃える割合を見つけ出した。

 元々、こんな作業を根気よく続けるような性格でもなかった。

 十四歳のころ、両親を立て続けに亡くし、流浪の生活を送っていた。

 その頃から、石を弾き兎などを獲る技は持っていた。山で気楽に自活していたころ、急峻な崖をものすごい速度で降りてくる六人の一行を目にした。

彼らは崖を下りると、あっという間に見えなくなった。普通に歩いているように見えて、大人が駆けるくらいの速度で進んでいたのだ。

 羅辰は思わず一行を追いかけた。羅辰も、山道を進む速度には自信があった。一昼夜追いかけて、辿り着いた街で六人はばらばらに消えて行った。

 何かの隠密部隊か。羅辰は考えた。この街で何かを成し、離脱するとしたら。そう考えて目を付けた場所で待ち受けていると、六人がほぼ同時にその場所に参集した。

 その時、羅辰を(いぶか)し気に見つめる初老の男がいた。それが公孫(こうそん)(しょう)だった。

 それ以来、公孫勝の従者をしながら、致死軍の兵として腕を磨いた。なぜあの時、公孫勝を追いかけたのか、それは好奇心という他なかった。あの一行を追いかけることで、何か面白いことに出会えるのではないかと思っただけだ。公孫勝もまさか、自分たちに付いてくることができるとは、思っていなかったに違いない。

 一度公孫勝に、志はあるかと問われたことがあったが、そんなものはない、と答えた。

別に宋に対して恨みがあるわけでもなく、世直しの想いがあるわけではなかった。ただ致死軍の、死と隣り合わせの任務は刺激的で、快感にも似た感情を抱いていた。そして誰よりも、うまく任務をこなす自身もあった。

 ある日、公孫勝から仕事を言い渡された。梁山泊の賽から出ていく男を殺せ、というものだった。男の名は(こう)(しん)と言った。梁山泊の一員らしいが、何か処断されることをしたのだろうと思ったが、理由は訊かなかった。任務の質問は一切しない。それが致死軍のやり方だったからだ。

 任務は邵房(しょうぼう)という、致死軍一と言われる体術の達人と、組んでやることになった。

 当時邵房と組めば、どんな任務でも成し遂げられると思っていた。

 羅辰と邵房は、賽を出た候真を尾行(つけ)た。

 候真が山道を行き、岩の斜面と崖に挟まれた場所に差し掛かった時、羅辰と邵房は挟撃をかけた。

 しかし候真に肉薄した邵房は、瞬時に急所を突かれ絶命し、羅辰の放った鉄球も簡単に弾かれ、羅辰は息ひとつもつかず、地面に組み伏せられた。羅辰が自害する暇もなく、猿轡(さるぐつわ)を噛まされた。

 候真の話を聞くと、実は候真も公孫勝に命ぜられ、青蓮寺の探索に向かっていたという。

 怒った候真は賽に戻り、公孫勝に詰め寄ったが、実はこの任務は候真の試しだったのだという。

 公孫勝はこの試しにより、候真に致死軍を託し、引退した。

 羅辰が生き残ったのは、まったくの偶然だった。

 羅辰は公孫勝を父と思い定めていたが、この冷酷さも致死軍には必要なことだと思った。そして羅辰は候真の補佐として、候真と共に致死軍を率いることになった。

 この候真との出会いが、羅辰の心のありようを変えた。致死軍は人間的な感情を捨て、任務に命を懸ける集団だったが、候真の考える致死軍は、人間味をわずかに残すものだった。公孫勝に詰め寄ったのも、その表れだろう。

 しかし公孫勝はそれで良いと言った。候真が思う新しい致死軍を作れ、とだけ言い残した。

 羅辰は初めて、誰かのために働きたいと思った。候真を襲ったとき、組み伏せられて猿轡を噛まされたが、その所作にはどことなく優しさが感じられた。

 あとから聞いた話だが、邵房に襲われたとき、邵房があまりの達人であったため、手加減することができずに急所を打つしかなかったという。後に分かったことだが、邵房は(せい)蓮寺(れんじ)が送り込んできた間者だった。

 羅辰が我に返ると、辺りは火の海で、羅辰はその中に一人立っていた。背丈を越える炎はすさまじい勢いと熱で、羅辰を取り囲んでいる。炎を見ると、どうしても承山の造船所の焼き討ちを思い出すが、全身を焼かれ死線をさまようような経験をしても、それで火を恐れるようになることはなかった。むしろ冷静に眺めることができる。

 あの時、無垢な親子に助けられた。人が人を想うという、当たり前の光景があった。しかし早くに家族を亡くした羅辰にとって、その温もりと優しさは、むしろ居心地の悪いものだった。結局、夜中に銀一袋を残して、羅辰は逃げるようにその家族のもとを去った。

 もう十分だろう。

 羅辰は駆け出し、一気に聚義庁の前の広場まで駆け上がった。