「それに岳家(がくか)軍を引き継いだ、岳霖(がくりん)も忘れてはならん」

「岳霖ですか、親の七光りで軍を継いだような奴、どうせひよっこでしょう」

 (おう)(しょう)のこの不敵な性格は、長所とも短所ともいえた。ただ騎兵での突撃は、阿列(あれつ)の眼からみても、見惚れるほどである。

「それで、もう一つの懸念とは?」

「もう一つは兵站です。領内は良いとして、(わい)(すい)を渡ってからの兵站計画が示されておりません」

 謁見の時、(かい)(りょう)(おう)から簡単な侵攻計画が示された。無論発言など許されていない。王祥はその時のことを言っているのだろう。

「王祥、寿(じゅ)(しゅん)には今、兵糧が蓄えられている。その量は父の軍と合わせて十五万で、およそ二ヶ月分だ」

 阿列は、析律との軍議で示された数字を、そのまま言った。

「二ヶ月月分ですと?すると我々は敵地に入って、二ヶ月で飢えることになるのですか、そんなばかな」

 王祥が色を成した。無理もないことだと、阿列は思った。

「落ち着け、王祥。この時期に開戦に踏み切ったのだ。兵糧が潤沢にあるはずがなかろう」

 戦とは、本来は数年かけて準備するものである。それが前回の梁山泊(りょうざんぱく)戦から、一年ちょっとでの開戦、どこかに必ずしわ寄せは来る。

「陛下はどのようにお考えなのですか?」

「淮河以南の速やかな制圧と徴発、半年以内に長江を渡り、一年で臨安府を占領、南宋を解体する」

「ばかな、陛下は戦を何だと心得ておいでか」

 王祥が気色ばんだ。

「控えろ、王祥。不遜は許さんぞ」

 阿列は低く、しかし肚の底から声を出すと、王祥は肩を落としてうつむいた。

「父上が今、蔵から銀を出し、麦を買い集め南に送る手配をしている。丞相もそれを認めた」

「大殿がそこまでなさることはありますまい」

 王将は低い声で言ったが、納得はしていないようだ。すがるような視線を阿列に投げかけてくる。

「耐えろ、王祥。今は戦ができることを喜べ。勝てば私たちは大きく飛躍できるのだ。お前の不遜、今回だけは見逃そう。しかし次はない。旧友を処断することだけは、させないでくれ。分かったら、居ね」

 王祥はうつむき、手綱を握りしめている。

「王祥、お前の気持ちは受け止めておく。兵站が原因で、お前を撤退させるようなことだけは、絶対にさせん。俺の首に誓って言おう」

 王祥はうつむいたまま、駆け去っていった。

 駆け去る王祥の後ろ姿に、阿列は自分自身の背中を見ているような気がした。