「史進殿は違うのですか?」
「俺には何の知らせもないぞ。俺はただ少華山が気になって、遠乗りしてきただけだ」
「おい、まて胡土児、俺を助けに来たってどういうことだ」
孔最が口を挟んだ。三人ともうまく状況がつかめず、しばらく沈黙の時が流れた。
「いや、話はあとにしよう。俺は傷ついた仲間たちを見て回りたい。重傷を負った仲間は、残念ながら治療はできない。これから死んでいく者もいるだろう。その前に、そいつらによく闘ったと、声をかけてやりたい」
孔最はそう言って、駆けだそうとした。
「まて、孔最」
胡土児が、駆け去ろうとする孔最を呼び止めた。
「なんだ、胡土児」
孔最は苛立ちを押さえながら、目だけ胡土児に向けた。
「負傷者は森の安全な場所へ運べ。救護隊がすぐそばまで来ている。医師もいるので助けられる者もいるかもしれん。兵糧の準備もしてあるぞ」
「なんだと、本当か?」
孔最が振り返って、胡土児の肩を掴んだ。
「ああ、訳は後で話す。今はとにかく急げ」
孔最は頷くと、傍にいた仲間に叫んで指示を出した。慌ただしく仲間が動き始める。史進がその様子を、懐かしそうな眼差しで見つめていた。
「胡土児、俺は子午山へ戻る」
史進が言った。
「史進殿、今日くらいはご一緒しませんか?語らいたいことが、多くあります」
胡土児が、慌てて言葉を返した。
「胡土児、お前にはやるべきことがあるのだろう。まずそれを成せ。語るのはそのあとでも遅くはあるまい」
胡土児はしばし考え、頷いた。
「時が来たら、子午山へ来い。いいな」
「必ず」
胡土児はそう言うと、微笑んだ。
「史進殿、今回の借りは必ず返します。それまでご健勝でいてください」
「孔最、おいぼれの借りなど気にするな。それより、つまらん死に方はするなよ」
史進は笑って言うと、乱雲を返して駆けていった。
「変わった爺さんだ」
史進が見えなくなってから、孔最が呟いた。
「おい孔最、まさか史進殿に、爺さんと言ったのではあるまいな」
孔最は微笑み、指先で頬の傷を撫でた。
原野は日が暮れようとしていた。少華山はまだ燃えていて、あたりを明るく照らしている。
重傷を負った者のうち二十六名が、死んだ。孔最はその二十六名一人一人に声をかけた。皆、苦痛に顔を歪めていたが、孔最の顔を見ると笑い、穏やかな表情をして死んでいった。
胡土児の手配した救護隊は実に手際のよい作業をし、十名いた医師達は重傷者を一目見て、助かるものには白の札を、助かる見込みのないものには赤い札を握らせた。孔最はその札を頼りに仲間を見て回った。白い札を持った重傷者は、太平車に乗せられ、いずこかへ運ばれていった。
「胡土児、なんと礼を言ったらいいかわからん。皆、穏やかな顔をして死んでいったよ」
胡土児が、無言で頷いた。
仲間たちは、見張り以外は方々で焚火を起こし兵糧を取り、既に泥のように眠っているものもいる。
胡土児の目的は、海陵王の南進を止める事だった。そのために元梁山泊の秦容、呼延凌らと行動を共にし、騎馬隊の調練をしているという。
驚くことに、胡土児は前金軍総帥、兀朮の養子だったのだ。それで胡土児に莫大な賞金が掛けられている事にも、合点がいった。海陵王にとって胡土児は、帝位を脅かす存在なのだろう。胡土児は梁山泊の連中と密かに連携し、海陵王の南進を阻止する機会をうかがっているという。
孔最と胡土児は焚火を囲み、湯餅を噛みしめた。湯餅の塩気が疲労した身体にしみわたり、生きている、という実感が沸く。
巨骨は少し離れた場所で、焚火に当たっていた。巨骨はゆっくり人と過ごす、というのが苦手らしい。いつも一人で食事をとり、眠る。しかし人が嫌い、というわけではなさそうだった。面倒見もいいので仲間たちからも慕われている。
「それにしても胡土児、何故俺を助けにきた」
孔最が、焚火の火を見つめながら言った。
「宣凱はお前の決起を危惧した。反乱の気運が金国に高まるのは、海陵王の南進を慎重にする要因にはなるが、実際の反乱は不幸にしかならない、と宣凱は考えている」
「俺の行動はお見通しってわけか。実際史進殿が来なければ、危ないところだった」
「お前の行動力が、予想を超えていた。少華山の火計も見事だったし、軍にいれば将軍に昇格間違いなしの大手柄だな」
胡土児が笑って言った。
「胡土児、俺は確かに軍人に憧れて軍に入ったが、今は違う。民のために何かを成さねば、俺は、ただ敵味方数千を殺しただけの悪魔さ。地獄に落ちるしかない」
「民のため、か。孔最、これからどうするつもりだ」
「明日、華州を陥とす。政庁を占拠し、全国に檄を飛ばす。そこまでは徹底してやる。知府(州の長官)は身柄を拘束し、俺の考えに同調すれば使う。できなければ殺し、俺が華州を治める」
「一日で華州を陥とせるのか?この千人足らずの兵で」
「ああ、すでに策は進行している。胡土児、俺はもう寝る。お前は見物するなり去るなり好きにしろ」
孔最はそう言うと胡土児に背を向け、寝転がった。
孔最の脳裏には、今日の戦いと、死んでいった仲間の顔が、とめどなく浮かんでは、消えていった。