少華山の賊徒討伐軍が編成されたのは、それから三日後だった。その数五千。おそらく京兆府(西安)の軍もふくまれているのだろう。華州軍の規模はせいぜい千五百くらいだった。官軍は整然と隊列を組み、少華山の麓に向かっているという。その知らせを受けて、孔最は皆を広場に集めた。
「みんな、ついにこの日が来た。俺たちは志のために集まった。戦だ。当然死ぬ者も出る。しかしこの中の誰が死んだとしても、そいつは俺の中で、男として生き続ける。例え俺が死んでも、お前たちの心の中で生き続けたい。ともに戦おう」
鬨が上がった。皆の目に、光が灯っている。孔最は五百を連れ山道を下った。残り五百は森に埋伏させた。
一歩一歩山を下る度、孔最の胸の高鳴りは冷め、心が冷たく固まっていくようだった。反対に四肢の筋は熱を帯び、どこまでも駆けていけそうな気さえした。心は冷たく、手足は熱い。つまり気力が充溢している、という事だと孔最は感じた。
少華山の麓に降りると、すでに官軍は布陣を終え、こちらを窺っていた。
孔最は五百を二隊に分け、前後に魚鱗の陣を敷いた。孔最は後段の中央である。魚鱗の一枚は五人で構成し、調練や作業は常にその五人で行った。次第に五人は気心が知れるようになり、団結が生まれる。五人が八人、十人の力を出す。孔最はそう信じていた。
官軍から一騎出てきた。投降を呼びかけているようだ。武器を捨て降伏すれば命は助ける、というものだった。孔最は騎馬に向かって、一斉に飛礫を投げさせた。騎馬が走り去っていく。
ほどなく官軍の攻撃が始まった。官軍は方陣で突撃してきた。兵力差を生かして力で押してくるようだ。
「小さく固まれ、決して離れるな」
孔最はそう叫ぶと剣を抜いた。前段がぶつかる。敵の前衛が一斉に戟を突き出してきた。前段はその戟を器用に弾き防いでいる。孔最が武器の調練でまず練習させたのがこの技だった。兵力で劣る分、まず身を守る技を身に付け、隙を見て攻撃する。何より仲間を一人も失いたくない、という想いで鍛錬した。戦でその想いは甘い、と言われるかもしれないが、それでも孔最は、この技を仲間に徹底して叩き込んだ。
「前段、下がれ」
それでもじりじりと押されてきた前段に向かって、孔最は叫んだ。前段が崩れながらも下がってくる。少しでも痛撃を与えようと、官軍も執拗に絡んでくる。
そこへ孔最率いる後段が、勢いをつけて突っ込んだ。孔最は前段の仲間を飛び越え、官軍の中に飛び込むと、手あたり次第官軍の兵を斬り倒していった。後段の仲間も勢いに乗り、官軍をかなり押し込んだ。
しかし数で勝る官軍は部隊を左右に展開し、孔最たちを囲むように動いてきた。
まだだ。孔最は立ち回りながらひたすら耐えた。
やがて左右からの攻撃が始まり、退き口が絞られようとしていた。いまだ。
「鉦を鳴らせ」
退却の鉦が鳴り響く。魚鱗一枚一枚が小さく固まり退いていく。鉦を聞いた官軍が勢いづき猛攻をかけてくる。一度後退した前段が二つに割れ、退き口塞ごうとした部隊に決死の突撃をかける。こじ開けたその退き口から仲間が少華山に向かって駆けていく。
孔最は駆けていく仲間を見ながら、官軍の攻撃を捌きつつ退がった。
後ろに向かって走る孔最が石につまずき、転倒した。孔最の剣が、地面を転がった。
戟が一斉に、孔最に襲い掛かる。孔最は転がって避け、地面を這って剣を拾う。仲間が戟を払って孔最を引き起こし、一緒に山道へ駆けた。途中脚が何度ももつれた。
背後からもう少しだ、追い詰めろ、という兵の叫び声が聞こえる。
「隊長、なかなかの演技ですな」
仲間が駆けながら声をかけてきた。孔最がにやりと笑った。
「我ながら迫真の演技だったぞ。滑稽に転げまわるのも、なかなか楽しいな」
「奴ら、必死で追いかけてきますぜ」
山道には、いたるところに罠が仕掛けてあるが、せいぜい草を編んで転ばせるとか、落とし穴で足を挫く程度の罠だ。本当に行かせたくないところには、もっと危険な罠を仕掛けてある。そして時折、仲間が集まっては抵抗し、退く、という事を繰り返した。
山門。少しだけ開かれたその門に、孔最は最後に飛び込んだ。すぐさま門が閉じられる。孔最は足を止めずに、見張り櫓に登っていった。櫓から少華山を見下ろすと、麓までの山道にうごめく兵の気を感じた。孔最は一度瞑目し、ゆっくりと開眼した。