どれほど駆けただろか。月明りと馬蹄の響き、頬を打つ風。どれも心地いい。こんなに心地よく馬を駆けさせたのはいつぶりだろうか。地方軍の追撃の気配はない。
胡土児は馬を並足に落とした。馬が限界に達しかかっている。潰れた馬を駆けさせ続けると、馬はそのまま死ぬ。その限界を見極めるのも、騎兵の資質と言っていい。
呼延凌が馬を返してきた。
「際どいところだった。まず追手はなさそうだ」
「呼延凌将軍、まさかこんなところでお会いできるとは思っていませんでした。前回は敵同士でしたし」
「俺も会えて嬉しい」
呼延凌が微笑んだ。秦容も駆け寄ってくる。
「こっちは小梁山の秦容だ。名くらいは聞いたことがあるだろう」
「はい、狼牙秦容の名は、深く心に刻まれています」
「お前が胡土児か。よろしくな。でもあまり似てないな」
秦容が、胡土児の顔を覗き込む。
秦容を見て、胡土児は肺腑を衝かれた。なんだ、この感情は。暖かいような懐かしいような。かつて感じたことのない感覚に、胡土児は狼狽した。
「秦容将軍、胡土児です。お目にかかれて光栄です」
おう、と秦容が笑った。その笑顔にも、胡土児は戸惑った。
「こっちは玄旗隊の将校の、蕭尤と耶律哥です」
二人が深く頭を下げた。呼延凌が軽く頷いた。
呼延凌が片手を挙げると、二千騎は四方に駆け去っていった。
「あの兵たちは」
「元梁山泊の騎兵だ。今は西域の商隊の警護をしているが、宣凱が招集をかけた。普段は身を隠すため、街や邑で生活しているが、号令があれば直ちに集まるようになっている」
「見事な騎馬隊でした」
「梁山泊の精兵だからな。五千は集められるだろう」
「しかし両将軍が、なぜあの場所に?」
「俺たちは南方にいたのだが、海陵王の動きが怪しいと宣凱から書簡を受けて、沙谷津に呼び出された。そして合流するはずだったお前が、地方軍に追われていると聞いて、迎えに来たというわけさ」
「その宣凱殿というのは、かつて単身金国に乗り込んできて、講和交渉をしたという」
「そうだ。元梁山泊の統括で、今は轟交賈の幹部をしているらしいが、俺も詳しくは知らん」
「俺も候真殿に言われて沙谷津を目指しました。初めは単騎で来るつもりでしたが、部下の玄旗隊を伴うことになりました。それでいろいろと支援していただきました」
「素晴らしい隊ではないか。皆気力に満ちていて、お互い心を通わせている。兀朮殿と激戦を繰り広げた時も、いつもお前と玄旗隊の脅威を感じていた」
「そう言っていただけると、彼らも喜びます。この状況で一騎も失うことがなかったのは奇跡のようです。感謝しています」
「おい、いつまで喋ってるんだ。さっさと黄河を渡ろう。この辺りは川幅も狭い。馬でも十分渡れるだろう」
「そうだな。沙谷津の近郊に轟交館があり、そこに宣凱もいる。詳しい話はそこでしよう」
胡土児が頷く。
「それより俺は一度、胡土児と立ち会いたい」
秦容が狼牙棍を振り回した。呼延凌と胡土児は苦笑した。