秦容がゆっくりと狼牙棍を振り始めた。
狼牙棍とは、狼の牙に譬えられる突起物が無数に取り付けられた頭を、棍の先に取り付けた形状をしている。狼牙棍は一対多数の場合に、最も効果を発揮する武器だ。呼延凌ほどの武人が大人しくその餌食になるわけがない。
狼牙棍は少しずつ速度を上げ、練兵場の砂を巻き上げ始めた。砂塵はあたり一帯と呼延凌を包み、その姿がゆらゆらと見え隠れした。
並みの武人なら、一撃に合わせ間合いを取り、飛び道具か得物を投げつけることだろう。しかし呼延凌は違う。必ず踏み込んできて七星鞭を振るうはずだ。その機に合わせてこちらも身体を寄せ、地面に組み伏せる。それでこの勝負は終わりだ。
「いくぞ、呼延凌」
秦容が渾身の一撃を放つ。狼牙棍の軌道から呼延凌が消える。秦容はすかさず狼牙棍を放し、間合いを詰める。が、呼延凌は七星鞭を振るうのではなく、鞭の先を掴み、袈裟に構え体当たりしてきた。秦容は避けきれず、二人がぶつかり合う。まともに喰らえば身体が潰れる、そう感じた秦容は後ろに飛び退き、体当たりの勢いを殺しながら、後ろに一回転、二回転と転がり、砂塵を突き破った。呼延凌は七星鞭を弾き飛ばされながらも体勢を整え、秦容に向かって突進してきた。尋常ではない踏み込みの速さだ。
呼延凌は、ようやく立ち上がろうとする秦容に向かって掌底を放つ。秦容は咆哮を上げ両足を踏ん張り、呼延凌の掌底に頭を合わせた。呼延凌が秦容の額を掴み、力比べのような形になった。
二人は歯を食いしばり、しばらく膠着した。周りから歓声が上がる。
「何やってんだい。やめな」
大音声を上げたのは于姜だった。秦容と呼延凌は、その声に弾かれて尻餅をついた。
于姜は岳飛を陰から支えた商人、梁興の妻だ。ふくよかな体躯で胆力があり、今は小梁山の内政や交易を視ている。
「なんだい、この様は。小梁山の頭二人がみっともない。喧嘩なら森の奥でやりな。皆の仕事の邪魔だよ」
「喧嘩ではない、勝負だ」
秦容が言った。
「こういうのを喧嘩というのさ。話があるなら宣示庁で聞こうじゃないか」
呼延凌がやれやれ、といった面持ちで立ち上がる。朱利は終始、狼狽えていた。
「さあ、見世物は終わりだよ。持ち場に戻りな」
于姜の一喝で、周りの人だかりは蜘蛛の子を散らすように駆け去っていった。
「見世物ではない」
呼延凌が、ぼそりと呟いた。