無頼派気取り | 東京瘋癲酔人日記

東京瘋癲酔人日記

夜の街で飲み歩く、私、安吾の日記。

キャバクラ、BAR、居酒屋などで見かけた様々な事柄を綴りながら、自作の小説も発表しています。

 雪村さんがご自身のブログ記事「キャバクラに求めるもの」 の中で、私のブログを引用しながらご自身のことを語っている。その内容は、業界にいらっしゃったということも含め、興味を深かったり、大いに納得したりするのもだった。
 さて、何故キャバクラで飲むのか。私の場合、キャバクラということだけでなく、とにかく酒が好きである。好きなのだが「昼間も軽くビールを飲んでしまう」とか、「晩ご飯には必ず軽くウーロンハイを飲む」などということはしない。仕事がらみで飲むことがなければ、基本的に平日は飲まない。一滴もだ。友人と飲むのも週に一度あるかないかなので、月曜日から木曜日は飲まないという週がある。日曜日も基本は飲まない。その代わり、金曜日、土曜日、もしくは祝日の前の日は必ず飲む。それも徹底的に飲むのだ。
 金曜日は同伴が無理なので、8時、9時、10時あたり、仕事あがりに一人で飲みだす。歌舞伎町なら「川の流れる店」 で触れているBAR Cで、ウイスキーを飲む。基本はストレートだ。つまみは乾きもののみが多い。ここでボトル1/3ほど空けて、キャバクラへ。1.5セットほどいて、小腹が空くので、一回でて、寿司をつまんだりする。回転寿司で十分だ。その数、二皿~三皿。その後、キャラクラをもう一軒。ここでは、満腹感と酔いから20分ほど寝たりする。ここで帰るか、ラストもう一軒。場合によるが、Bar1軒、キャバクラ2~3軒で、だいたいウイスキー1本を空ける感じとなる。
 酒が好きで飲めれば良いわけだから、ずっとBarで飲んでいてもいいのだが、寂しがりやなので女の子を求めてキャバクラに行くのだ。私の与太話にうなずいてくれたり笑ってくれたりするだけで、幸せな気分になってしまう(単純だ)。ショーで切れのあるファンキー景をみたり、伸びやかな歌声のボーカル景を見ていても、明るい気持ちになってくる。だからお酒がおいしくなる。
 40代独身男が、全員寂しいわけではないし、40代家族持ちが全員寂しくないわけではない。また、男女、年齢を超えて寂しい人は寂しい。自分と向き合う(自分探しともいうが)とたまらなくなるカンジは、誰にでもあるものだ。向き合った時、社会的なものにアイデンティティを投影して「○○会社の課長である」こと、もしくは家庭のなかにそれを投影して「○○の父親である」ことで、答えを出す人は多い。自分と向き合うしんどさから解き放たれるには、こういった自分自身以外のものに自分を投影するか、自分にとって本当に大切なものを見つけ、すべてのことをそれに優先させて生きていくか、ひたすら逃げるしかない。本当に大切なものなど、そう簡単に見つからない。見つからないが、自分以外のものに投影して生きていくのもイヤだ。だから、探しながらしんどさから逃げ続けるのだ。
 逃げ続けるには、燃料が必要だ。その燃料の一つが「キャバクラで繰り広げる数々の私のバカな話や行動を、笑ってくれる女の子の笑顔」だったりする。もちろんその笑顔は、フェイクであることが多い。彼女たちは「仕事で笑っている」ことが多いのだ。しかし、キャバクラで飲むこととは、こういった「笑顔」をお金で買うことだと私は思っている(冷めてるというか、イヤだね)。ただ、その数々のフェイクの中に、たまに本物ががあり、友人となったり恋人になったりする。
 口説いてばかりでは、キャバクラは「砂を噛む思い」だけしか与えてくれない。99%のフェイクを楽しみ、1%の本物に出会うかもしれないところがキャバクラだ。

 「見つからないが、自分以外のものに投影して生きていくのもイヤだ。だから、探しながらしんどさから逃げ続けるのだ」と書いたが、人はこれを「ピーターパンシンドローム」と呼ぶことがある。
 わかっているんだけどなぁ、、、