
村田沙耶香著、『コンビニ人間』を読んだ。
芥川賞を獲っただけのことはあり、考えさせられる作品だ。
頭でっかちと呼ばれがちな人におすすめだ。
そうでなくても、漠然とした息苦しさを感じる人におすすめだ。
この記事の前半は、これまで読んだことがない人に、この作品の魅力を伝えるために書く。
後半は、すでに読んでいる人向けに書く。ご自由に読み飛ばすなりしてください。
どんな話?
さて、この話がどういう話なのか、僕なりにざっくりとまとめると、18年間、コンビニ店員として、「コンビニのマニュアル」で生きてきた主人公がふとした事から「ムラ社会のマニュアル」の存在に気付き、そちらを一度選択しようとするも、結局は「コンビニのマニュアル」を選択する、という話だ。
特にラストのシーンについてだが、主人公はコンビニという透明な箱を見て、赤ちゃんが生まれてきた時に入れられる透明は箱を連想する。それは「私はコンビニ店員として生まれた」という言葉を回収する、この物語の大きなテーマなのだが、非常に興味深い。生まれた時から私たちは何かしらのマニュアルに従わなくてはならない、ということを暗示してもいる。
これだけだとなんの事だろう?となる。
どんなマニュアルに従って生きるか?
まず、マニュアルというものを、
「他者により、明確な正解が与えられている状態」
と定義する。
そうすると、例えば受験勉強、ってのは明確なマニュアルだ。ちゃんとすべきことが分かっていて、あとはどれだけ従えるかだ。従うことができた人が東大に受かる。わかりやすい。
コンビニも同じだ。コンビニ店員のマニュアルがあり、従っている人が優秀な店員だ。
作者によれば、僕らの生きる社会にもマニュアルがある。明文化されていないため、主人公がそういうマニュアルの存在に気づいたのは36歳だった。そのマニュアルのことを、この物語に登場する白羽という男性は「縄文時代と変わらない、ムラの掟」と呼んだりする。
縄文時代から変わらない、ムラのマニュアル
白羽によれば、この社会は縄文時代と何も変わらない。
人間は、ある程度の年齢になれば「仕事」か「家庭」のどちらかでムラに貢献しなくてはならない。そして、そのどちらにも属さない個体は、機能不全を起こしているとして排除される。(現代社会にはそこに”治療”という選択肢がある)
狩に行って獲物(現代社会ではお金)を獲得し、ムラに貢献する強い男性に魅力的な女性が群がり、そして、女性は子供を産み育てることでムラに貢献する。そうやって人間は増殖する。
そんなマニュアルは今でも同じだ。
コンビニのマニュアル
コンビニのマニュアルは「お客様に最高のサービスをお届けし、地域のお客様から愛され、選ばれるお店」を目指したものだ。ムラ社会にマニュアルとは異なる。
主人公の女性は常にコンビニのマニュアルを携えて生きている。衣食住の全てがコンビニのマニュアルによっている、と言ってもいいかもしれない。
そういうあり方をする主人公に、白羽は「恥ずかしくないのか」という一言を突きつける。主人公はコンビニのマニュアルで生きてきたため、ムラのマニュアルで見れば、機能不全だ。そもそも、主人公はそうしたムラのマニュアルの存在自体に気づいていない。
「こんな歳までアルバイトしかしていない。おまけに子宮も使い物にならない」と白羽は言う。「あなたは仕事でも家庭でも、この社会に属せない」と言うわけだ。
さて、主人公は、そうしたムラのマニュアルが存在することを知った上で、それでも、コンビニのマニュアルを選択して生きることにする。
ここまでが、この作品を読んだことがない人のために書いた話だ。
ここから先は、この作品を読んだことのある人に向けて書く。
僕なりの感想を書く。
僕なりの感想(既読者向け)
まず、大きな違和感を感じたのだが、それは、こういう作品が存在することそのものへの違和感だ。主人公の女性はまるで機械のような存在として描かれている。であれば、そこに悩みなど生じないはずなのだ。機能不全?知ったことではない。障害?あったら排除するまでだ。
しかし、この物語は小説になっている。主人公にも感情があるからだ。その感情はどこからくるのか。それを見極めながら読むと面白い。結局のところ、血縁淘汰説に行き着くからだ。
主人公は家族を喜ばせたい、と思って生きている。これが血縁淘汰説だ。この話は詳細版の感想文に載せるとしよう。小鳥の死体を持って帰って食べ物にしようと提案した時も、スコップで人を殴り、家族が謝らされている時も、妹と話している時も。全ての場合で、主人公は家族を悲しませるのは「本意ではない」ので悲しませない選択をする、としている。ここで「本意」とか「不本意」という言葉をワンクッション挟んで、直接的に感情を書き出さないという表現形態は、結構面白いと思った。
主人公は共感性を完全に失った機械ではない。なぜなら、共感性が完全に欠落していれば、そもそもポジティブな表情とそうでない表情を見分けることすらできないはずだからだ。主人公の内側には、実は人間的な部分が折り畳まれて存在している。
それゆえに、主人公は一度、妹を喜ばせるために、ムラのマニュアルを選択してみようとするわけだ。
僕らがみな、マニュアルに従って生きているとしよう。僕らの大半はムラのマニュアルで生きている。その「ムラのマニュアル」というメインマニュアルの下部に、「コンビニのマニュアル」が存在する。学生時代はモラトリアムであり、バイトをしていればいい。バイトの中にコンビニがあり、コンビニ店員になればコンビニのマニュアルを選択する。制服を着た瞬間、僕はコンビニ店員のマニュアルをムラのマニュアル以上に優先させることになる。
主人公の異常性は、コンビニのマニュアルをメインマニュアルとし、ムラのマニュアルをサブマニュアルとしている点だ。つまり、コンビニ店員として働くために生きているのだ。身嗜みを整えるのも、飯を食うのも、寝ることですらも、全てコンビニのためだ。そこに明確な異常性がある。
コンビニ人間、というタイトルは奥深い。「人間じゃない」と否定された主人公は「だから、さっきからそう言ってるのに」と心の中で呟くのだが、それでもやはり、人間なのだ。