おはようございます。

お正月の忙しさが落ち着き、今日は朝からニュースを見て、改めて能登半島地震の被害に言葉を失っています。

来週は若手僧侶で行う能登半島地震の募金のための托鉢へ行ってきますが、今日は「慈悲」という言葉についてお話をさせてください。


よく、キリスト教の「愛」は、仏教では「慈悲」と言われます。

「慈」という字を見てもそのとおりだと思いますが、ここで注目していただきたいのが「悲」という字です。


なぜ「悲」と書くのでしょうか?


慈悲の「悲」の語源となっている梵語の「カルナー」は、「呻き(うめき)」の意味を持ちます。


人生の痛苦に呻き嘆いたことのある者のみが、苦しみ悩んでいる者を真実に理解でき、同感して、その苦しみを癒すことができるということです。


そして、そのような「同苦の思いやり」を「悲」と呼び、これは高きから低きへ向かうものではなく、常に同じ高さにあるもの同士のふれ合いを重んずるという特徴を持っています。


世の中には楽しいこと、明るいニュースが溢れていて、それらを共有できる仲間は沢山います。

でも、悲しみ、苦しみを共にしてくれる人、また、共にし続けてくれる人はなかなかいません。


慈悲の「悲」は、私たちに「悲しみに寄り添い続ける力」の大切さを伝えていると思います。


キリスト教の「愛」は、はじめ日本では「お大切」と訳されたそうですが、他者を大切に思い、悲しみに寄り添う力が私たちに求められています。


まずは、自分のできることを考えましょう。


そして、行動しましょう。


無駄なことなど、決してありません🙏