今朝、道心寺の総代さんから以下のような記事が送られてきました。

宗教2世問題やカルト問題が取り上げられるなか、「宗門校」の在り方や考え方にスポットをあてた良い記事でした🗞

そこで今日は、クリスチャンの夫と暮らしながら子育てをする私自身が感じること、考えること、見聞きしたことをまとめてみます💡
 
【宗教と情操教育】托鉢で感じる「親と子の宗教」
まずは先日。駅前で托鉢をした際、お母さんと歩いてきた小さな女の子が私たちのほうを見てお母さんの手を引っ張りました。
「お母さん、あれ、なに?」
お母さんは托鉢の説明を簡単にしたようですが、あまり乗り気ではなさそうです。ところが女の子は
「でも、あれ地震で困ってる人の募金になるんでしょ?」
と引きません。するとお母さんが諦めさせるために
「じゃあ、自分のお小遣いでならいいよ」
というと、女の子はお母さんの意図に反して
「そうするね♪」
と可愛らしいお財布から5円玉を取り出し、お布施をしてくれました。お母さんはやれやれという顔でした。
このようなとき、私たちは彼女に道心寺の信者になって欲しいと思っているわけではなく、その清らかな瞳に「彼女の未来に神仏の御加護がありますように」と祈っています。そして、親子という視点で考えると、これもひとつの「情操教育」だと感じる瞬間でもあります。
それは、駅に向かう多くの親子が「托鉢の存在になど気付いていません」とアピールしながら颯爽と歩いていき、なかには子どもが興味を示しても「あんなものにお金をいれなくていいの!」と叱られる姿まで見かけるからです。
私は托鉢や募金活動は情操教育のチャンスなのにもったいないなとも思いながらその様子をいつも見ています。
とはいえ、それで残念だとか憎いということはもちろんありませんし、「托鉢というものがある」とか、もし「お金に困っていないのに募金をスルーした自分」にジャリっとした気持ちを覚える人がいるならば考えるきっかけになるので、それはそれで良いと思っています。
 
【宗門校を受験前、親に一度考えて欲しいこと、知って欲しいこと】
宗門校について考えていきます。
基本的に信仰を持つことは「ご縁」や「お導き」によるものです。
成長期の3年間、6年間と長い時間を過ごす「宗門校」での時間は子どもの心に大きな影響を与えるものですから、これもひとつの「ご縁」や「お導き」になっていると思います。
そして、「ご縁」や「お導き」でありながら、学校選びには親が大きく関わるため、ここで、親として自分たちの選択が将来子どもにどのような影響を与えるか、いくつかのシミュレーションはして欲しいと思います。一筋縄ではいかないのが子育てです。
もちろん、子どもと一緒に学校選びをする際、学校の進学実績や就職率、部活の強さ、また、ブランド力を重視する親が多いとは思いますが、そこが宗門校であることを「無視する」ことだけはして欲しくないのです。

子どもは学校選びの際に大学進学実績もなかなかイメージしにくいでしょうから、「制服が可愛い」「友達も受験する」「駅から近い」「部活をやりたい」という基準で考えていることが多いと思います。でも、親は大人であり保護者として子どもの教育に対して責任があるわけですから、進学率だけではなく、「宗門校か否か」にも目を向けて欲しいです。
 
【宗門校に通った場合に起こり得ること】
ここでいくつかの例を紹介します。
子どもが宗門校に通った場合、「宗教を好きになる子」と、「宗教を嫌いになる子」が出てきます。
親が無宗教で子どもが信仰を持った場合は
「そんなつもりでいれたわけでもないのに面倒なことになった」
と感じる親もいますし、反対に、自分たちと同じ信仰を持たせようと考え宗門校へ入れたのに、子どもがその宗教を嫌いになってしまい
「せっかくそのために入れたのに!」
と身勝手な怒りを覚える親もいます。
子どもが宗門校で宗教を嫌いになる理由は様々ですが、例えば、テストの点数が悪かったときに精神統一を目的とした写経や聖典の朗読などが子どもにとってはただの「罰」に感じ取られてしまう場合がある、などの例です。
「修行」とは本来自ら進んでやるものですから、半ば強制力を伴うものに宗教的な行為や修行が入ると拒否反応を起こす子どもがいてもおかしくありません。だからこそ、宗教施設での布教よりも宗門校での宗教指導は世間と宗教とのバランス感覚が非常に大切だと思いますし、いっそう気を遣うところだと思います。私も様々な宗門校へ講演に行きますが、宗教主事の先生方は本当に色々と考え、工夫されています。

ちなみに私の場合は高校生のときに自分で仏教の勉強をはじめ、法華経が好きになり出家を志しましたが、幼稚園が浄土宗の女性僧侶が運営する幼稚園で、阿弥陀様への信仰も持っていました。そこで、法華経の信仰も阿弥陀様への信仰も続けられる宗派はと辿りついたのが天台宗です。幼稚園の頃の出会いがなければ、私の信仰はまた違うものになっていた可能性もじゅうぶんあります。
 
【信仰があっても無くても、学校には「リスペクト」を持ってほしい】
私は、親は子が受験する学校が宗門校の場合は、その宗教、宗派に最低限のリスペクトを持ってほしいと願っています。それが、「ご縁」を持たせる保護者としての責任です。

実際に学校での宗教の時間をきっかけに信徒になったり宗教指導者になる人はごくわずかですが、ゼロではありません。
仏教の学校に通った我が子が将来「お坊さんになる!」といったり、キリスト教の学校に通った我が子が将来「神父さんになる!」といったとき

「はあ?ないないwww」

となる親であれば、おススメしません。
他者に我が子の通う学校を「謎の宗教だけどスポーツが強いから」と平気で言えてしまうのも、悲しいことだと思います。学校も保護者向けの宗教講座を開きますが、入信しろといっているわけではないのですから、面倒なものだと思わず、せめて、我が子がどのような理念で教育を受けているのかを知る、教えてもらうつもりで参加してみてはどうかと思います。
 
【私が考える宗門校の魅力】
最後に、私が考える宗門校の魅力についてです。
私自身は宗門校の最大の魅力は「道徳」の授業が「宗教」の時間であることだと考えています。
私は学生時代、「道徳」の授業が嫌いでした。なぜなら、今どきの言葉でいう「ソース」が無かったからです。道徳の教科書の内容に疑問を持っても、担任の先生が道徳の教科書を作っているわけではないので質問や議論をしたくてもさせてくれませんし、その教科書自体もどのような大人たちで作られたものかよく分かりません。
その点、宗門校の「道徳」である「宗教の時間」はその学校の理念で宗教指導者が聖典や経典というベースを持ったうえでの授業ですから、疑問や質問にはとことん付き合ってくれますし、深め合うことができます。
「道徳」は情操教育で一番大切な部分だと思いますが、私が宗門校に期待するのは情操教育や「信じる」ということを蔑ろにしない、神仏への畏敬の念です。
 
長々と書いてしまいましたが、我が子が学校を卒業するとき、そして大人になったとき、その心の成長に「この学校に通わせて良かった」と思えたら、親子ともに幸せなことですね😊🙏✨