お疲れ様です😊

昨日、無事に父を見送ることができました🙏

人生ではじめてのお葬式の導師は本当に緊張しましたが、父にしっかりと引導を渡すことができたと思います。

お心を寄せていただき、応援してくださった皆様に感謝いたします✨


父は晩年を静岡県富士宮市で過ごしました🗻

そのため、お葬式はJA富士宮のおもいやり会館で執り行いました🙏


おもいやり会館のスタッフさんは本当に親身になってくださり、かつ、ユーモアもあって、エジプト好きの父のためにサプライズで作ってくださった祭壇は…



なんと!ピラミッド型でした😂✨

感謝しかありません😊


私は13日に富士宮へ入り、枕経、通夜、本葬と務めました。

15日の晩は父と最期の晩だったので、母と私の2人が会館に泊まり、父と一緒に寝ました。

といっても、3人娘の中で私だけが宿泊したのは、私が父と一番◯◯だったから…などという理由ではありません。


私は初めから泊まろうと思っていたのですが、怖〜い姉(長女・40才)から


「会館の宿泊施設はドライヤー無いらしいから、泊まるのはドライヤーのいらんアンタで決定!」


と、私の意見や気持ちの確認もなく、指示がおりてきました😱

ボウサン、アネ、コワイ😱


導師をするということで、読経中に泣いてしまったらどうしようとか、正直、色々不安でした。

でも父は、小さい頃から「お前は本番に強い!」と私に言っていましたので、父の望む導師としての私の姿を堂々と見せなければと思いました。

気合いを入れて、師僧から伝授していただいた通りに全ての作法を執り行いました。


火葬場へ行く途中。

霊柩車の中で、父がよく


「俺は仕事で色んな乗り物に乗った!飛行機も、新幹線も、船も、タクシーも!あとは、霊柩車だけだ!」


と、人を笑わせていたことを思い出しました😅

改めて、風変わりな人だなと思いました。



火葬後は自宅で初七日法要を行いました。

父の骨壺の前には、富士山の描かれたワンカップの日本酒が供えられています🙏


それにしても、どんなときも笑いって大切ですね💡


先ほどふと、通夜、本葬での緊張は尋常ではなかったのに、なぜ冷静に出来たのかと考えると、入堂する前に思い出し笑いをしたからだと分かりました。


その思い出し笑いとは、某・桂S之輔さんと10年以上前に参列したとあるお寺の法要で、若住職さんが入堂されるときに、S之輔さんが興奮気味に私に話しかけてきたことです。


「姉さん!姉さん!やっぱり、大きい寺の息子って金持ちなんスね!🤡」


「は?なんで?」


「だって今、司会の人が、『それでは、御曹司さま入堂です!』って言いましたよ🤩」


「それは御曹司さまやなくて御導師さまや😱」


このやりとりを、人生ではじめて司会の方から「それでは、御導師さま入堂です」と言われて、思い出したのでした😅


おかげさまでしんみりとせず、父の新しい世界への旅立ちを、みんなで送り出すことができました😊


鳴海勇喜男。

勇ましく喜ぶ男と書く、良い名前でした。


極楽の蓮の華の上でほがらかに過ごす父の姿を祈って。


阿弥陀様、よろしくお願いいたします🙏✨


南無阿弥陀仏🙏