1月11日、昭和16年生まれの父が亡くなりました。


ヘビースモーカーだった父の肺がんが分かったのは昨年9月のことで、診断の翌朝、父は治療しないことを決めました。私たち家族も父の望む最期にするため父の選択を受け入れました。

自宅で死にたいという父のために、家族みんなで力を合わせた4ヶ月でした。


父は北海道で生まれ、さまざまな仕事を経験してきました。社員教育という天職に出会ってからは全国をとびまわり、いつもイキイキとしていました。

やりたい仕事をして、行きたいところへ行き、会いたい人と会って、大好きなお酒を飲んで、タバコを吸って、幸せな人生でした。


10月3日、私の繁昌亭独演会に参加できるのは最後になるだろうからとなんとか顔を出してくれましたが、咳き込んでしまうため客席を出たり入ったりしていました。

父なりに、「まるこの落語の邪魔をしてはいけない」と気を遣っていたのだと思います。


独演会の翌日、父が延暦寺大霊園のお墓に入りたいというので家族で見に行きました。

琵琶湖と空の間にある延暦寺大霊園は、あの世とこの世が繋がっている不思議な場所のように思えて、私は好きです。

寂しくない、あたたかい場所なのです。

父はお墓を建てる予定の場所に立って琵琶湖を眺め、「ウン!気に入った!」と晴れやかな顔で言いました。

デザインも自由にできるというので、早速、父が大好なエジプト風のデザインを姉が考えました。


12月下旬、かなり具合が悪くなりました。

私は比叡山へと急ぎ、師僧から葬送の作法を伝授していただきました。

その際、師僧から父の戒名を授かりました。

その戒名は、私自身も救われる戒名でした。


父はとても厳しく、激しい人でした。

優しさは弱さだと思っていた時期もあったそうで、父が私を叱咤激励するために言った言葉に私が傷つくこともしばしばあって、父を遠ざけた時期もありました。

それでも、親孝行は悔いのないようにとたびたび旅行へ連れて行っていましたが、石川県の老舗旅館、加賀屋に行ったときのことです。


長年、社員教育をしてきた父は、死ぬまでに一度、日本一のサービスといわれる加賀屋を経験したいと言っていました。そこで2018年の誕生日に招待したのです。

その日は私だけ仕事だったため加賀屋に遅れて到着しましたが、その部屋に入ると、柔らかな光の中でほっこりとした顔でタバコを吸っている幸せそうな父の姿がありました。

その姿を見た瞬間、これまで父に感じてきたさまざまなものがすべて昇華されるような想いになりました。


師僧からいただいた戒名は、加賀屋のあの瞬間の父を思い起こすものです。

あの世でも父が光に導かれながら穏やかに過ごしてくれると確信して、私自身も救われました。

今後も父の供養をするたびに、まずあのときの顔が出されるので、本当に師僧に感謝しています。


痛みもなく、苦しみもなく、自然と細くなる食には逆らわず、日本酒だけを味わいながら、父は上手に枯れていきました。

医師の話しでは、老衰の状態だそうです。


年末、母が父に付きっきりになってきたため、なんとかスケジュールを調整して、5日間ほど実家へ帰りました。

父はとにかく母に側にいて欲しいというので、父の介護をする、というよりも、母が父に付いていられるように家のことなど母のサポートをするために帰りました。


12月29日の朝方、目を覚ました父が嬉しそうに母に言ったそうです。


「なんか俺、金の鈴をもらえるんだって」


そこで母が


「それは良かったね!誰から貰えるの?」


と聞くと


「神様から貰えるらしい」


と話していたそうです。母は


「勇喜男さん、80年間頑張ってきたから神様がご褒美くれるんだね」


と答えました。


そのあと、今度は父が満足そうに私に言いました。


「俺、今まで欲しいものがずっと手に入らなかったのに、最近、全部手に入るんだ」


微笑んでいました。


父は本を読むこと、そして文章を書くことが好きでした。

36才のときに『サラバ骨壺よ』という作品で第一回・週刊読売ノンフィクション賞の佳作を受賞し、そのときに松本清張先生から褒めていただいたことが、いつも父の誇りでした。


『サラバ骨壺よ』は、父が若い頃にお釈迦様を想わせる不思議な骨壺を売っていた父自身の物語です。


私は父が安心してこの骨壺に納まるよう、人生ではじめてのお葬式を導師としてつとめます。


自宅で母と姉に看取られた父は幸せだったと思います。

父が亡くなる1時間ほど前、私は道心寺にいました。本堂でご本尊さまに父のことをお願いしますと祈りましたが、ちょうどその頃、自宅で寝ていた父が


「まるこ、来てくれてありがとうな」


と言っていたそうです。


最後に、父が人生のまとめとして書いた、今年の年賀状の文章です。


私は素粒子となって宇宙に還る予定です。

この地球は私にとって大きな遊び場。

十分味わい尽くしました。

皆さん、共に遊んでくださりありがとう。


鳴海勇喜男



父を送るため、しばらく忙しくなります。

仕事関係者の皆様へはご迷惑をおかけいたしますが、何卒お許しください。

ご用事の方は露の団姫事務所までご連絡をお願いいたします。

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