お疲れ様ですm(_ _)m
今日は兵庫区役所さんで人権講演をさせていただきました。人権というと堅苦しいですが、まずは自分を大切にし、そして自分の目の前にいる人を大切にして、お互いに違いを認め合うことが人権の第一歩、というお話しをしました。
その例えとして、私と大治朗は宗教が違いますが、結婚するからといってどちらかに無理矢理合わせたりせず、天台宗とキリスト教とで、お互いの親が違って当たり前なように、お互いの神様、お互いの仏様を大事にしようと誓って結婚した話をしました。
参加者の方に大きく頷いていただきました。
楽屋に帰ると、すぐにケータイでネットニュースをみました。私には朝からずっと待ちわびていたニュースがありました。それが「夫婦別姓」の憲法判断です。
今日という日は喜びの日になるはずでしたが、本当にショックです。
【夫婦同性は合憲】の判断。
でも、私は諦めません。
日本は国連の女性差別撤廃委員会から過去何度も注意を受けています。しかし、これを無視して断固として夫婦同性を続けています。
私自身、結婚生活はとても幸せですが、苗字を見るたびに心底嫌気がさします。
私は中学生の頃から夫婦同性について疑問を抱いていました。「それがいいっていう人もいれば、イヤな人もいるんじゃない?私個人としては、イヤやし」と。
今日の憲法判断まで、世間のいろんな声を耳にしました。賛成派の人、賛成派の人。
「夫婦同性がいい!」という人もいれば、「夫婦別姓がいい!」という人もいる。
どちらも間違っていないし、それぞれの自由、だからこそ「選択的」の素晴らしさがあったのに、なぜそれが認められないのか。
なぜなんでも合わせたがるのか。
合わせて幸せな人もいれば、合わせず認めあうのが幸せな人もいるのに、と思いました。
「夫婦同性がイヤな女性は、旦那に合わせてもらえばすむ話じゃん!」という意見もあります。でも、そんな単純な話ではありません。男女問わず、合わせることを希望しない人間に、合わせたり、合わせさせたり、ということに、私は夫婦同性の問題があると思うのです。だから、これは女性だけの問題ではありません。
「選択的」であれば、みんなそれぞれの形で幸せな結婚ができるのに、どうしてそこまで、国連から注意されても夫婦同性を強行するのか。
不思議でなりません。
苗字が違っても心は繋がっている。
信仰は違っても平和への思いは変わらない。
子供が困惑する?ちゃんと説明すればいい。それが子供のアイデンティティを育てる教育にすらなるのではないか。
私は諦めません。