数年前、「もう殺さない」、こんなようなタイトルの本を読みました。
法句経というお経、(ダンマ・パダ)の教えが説かれています。
ダンマ・パダは、「怨みを断ち切ろう!」と切に訴えます。
怨みがさらなる怨みを起こし、負の連鎖へ落ちていくからです。
なかなか断ち切れない怨み、なんとか自分の心を正して、断ち切る勇気を持ちましょう。
以下、読んでみてください。色んな仏教書に解説がありますが、大法輪閣から出版されている「仏教名句・名言集」内、松濤誠達師からの引用です。
【怨みは怨みをもって息むことなし】
ある家長が死んだ。家長の妻はその一族が絶えてしまうのを恐れ、息子が気に入っている家から娘を連れて来て息子の嫁にした。しかし彼女は妊娠しなかった。
嫁は、ある家の娘を自ら選んで、夫のためにもう一人の妻として連れて来た。しかし第一の妻は、第二の妻が懐妊したら第二の妻が主婦の座につくに違いないと恐れ、第二の妻が懐妊するごとに流産するよう薬を盛った。流産は二度に及んだ。隣家の妻の忠告でそれに気づいた第二の妻は、三回目の妊娠を隠したが、胎児が大きく成長し過ぎたため死亡し、その同じ家で猫として生まれた。第一の妻も、そのことを知った夫に打たれて死に、その同じ家でめん鳥として生まれた。
猫は前世の怨みによりめん鳥が卵を生むたびにそれを食べた。めん鳥は次に雌豹に生まれ、猫は雌鹿に生まれたが、前世の怨みにより雌豹は雌鹿の子を食った。
次に雌鹿は鬼女に、雌豹は家柄のよい娘として生まれた。娘はやがて結婚し子を生んだが、鬼女は娘の友人と称して子を奪い食ってしまった。こうして鬼女は娘の子を二人食ってしまった。三人目の子を身ごもったとき、妻は実家で出産したいと言い、実家で息子を出産した。
子供の命名式の日に、妻は子を連れて婚家に夫と共に帰ろうとした。その道すがら、僧院の近くで彼女が沐浴し、次に夫が沐浴しているとき、鬼女が襲って来た。夫を大声で呼んだが、夫が戻るのを待ちきれず、妻は子を抱いたまま僧院に駆け込んだ。折しも僧院では釈尊が聴衆の中央で教えを説いていた。妻は子を釈尊の足もとに置き、「この子を貴方様に差し上げます。私の息子の命を助けてください」と願った。釈尊はアーナンダ(阿難)に命じ、鬼女を連れて来させた。
そこで説かれたのが「この世においては、怨みをもってしては怨みはけっして鎮まることはない。(怨みは)怨みを抱かぬことによって鎮まる。これは永遠の理法である」釈尊の教えによって怨みの恐ろしさを知った彼女らは、互いに愛し合い、幸福を実現したと言われる。
生きていると、思わぬ拍子に、また、意図していないのに、怨みが起こることがあります。しかし、「誰か」が断ち切らなければなりません。その「誰か」は、自分だと思わなければいけないと常々感じます。
怨みは怨みをもって息むことなし。「もう殺さない」教えです。
P.S 先日の防犯ブザーの配布問題の記事(4月6日「人間の愚かさ」)ですが、その後、町田市に非難が殺到し、防犯ブザーを配布することになったそうです。ご報告まで。。。