GW前半(4月29日~5月1日)は岩手県宮古市-釜石市までボランティア活動に行って来た。

活動内容は少しでも被災者の退屈凌ぎになるよう、
避難所の図書を充実させようというもの。
遠征メンバーは姉夫婦と自分の3人。
義兄は某報道機関、姉は某出版社に勤めている。
そのツテで震災前から取材などで係わりのあった地元の方々がいて、
事前に連絡を取り合うことができたので、目的を絞ることができた。

最初に向かう場所は岩手県宮古市田老地区のグリーンピアという避難所。
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/106003/106003.html
東京から東北道をひたすら北上して盛岡まで向かい、前泊してから宮古市へ。高速道路が波打ってボコボコのツギハギだらけだった。
特に震源地に近い宮城県が酷い。

盛岡市、宮古市内の内陸部はいわゆる普通に戻っており、もう流通など一般生活上の不便は一切無い。津波で流された地区とは全く一線を画している。

宮古市役所へ続く橋を越えると、河口の堤防の内側の道路脇にうち上げられた漁船が姿を現し、瓦礫が目立ち始める。
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市役所前から魚市場へ続く道を左折し、ひと山越えると田老地区が見えてくる。
右手の海側に大きな堤防(4.5m)があって、左手には山がある。
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どちら側も津波で流されて廃墟というか、町が消滅している。(これについては後で詳細なレポートで報告する。)

田老地区の中心部を真っ直ぐ進み、また山に入る。 岩手県沿岸はリアス式海岸の半島部分が山で、海辺が町という感じだ。 目的地のグリーンピアは田老地区を抜けた山の上にある。
桜満開の並木道を抜けると、大きなアリーナとホテルの様な宿泊施設に通常の体育館もある。
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アリーナに約600名、宿泊施設に約200名という大規模な避難所になっており、仮設住宅も多数完成していた。
以前、「グリーンピア問題」と騒がれて、年金基金の無駄遣いであると大非難された施設が今や大避難所として大いに役立っているのは皮肉な話だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%A2
避難所には臨時診療所があり、そこに田老地区唯一の医師であった先生がいる。その医師こそが義兄が仕事で取材をした人で、奥様は避難所の世話役の一人である。自身の診療所は津波にのまれてしまったそうだ。
避難所は市の職員や公認の正規ボランティアで運営されており、「国境なき医師団」もブースを構えている。アリーナの避難所は一世帯ごとにパーテーションで区切られていて、食事や衛生面でもかなり充実している印象だ。
肝心の本や玩具の類もたくさんある。
これがずっと頭を悩ますことになるのだが…。

というのは、質の問題。量的にはたくさんあっても、誰も手に取らない粗悪な本が多いというわけだが、入れ替えて持ち帰るような輸送能力は無い。
結果的にそれらの本にスペースを取られてアリーナには殆ど本を置くことが出来ない有様だった。辞書や教材本は少し設置できた。

なので、宿泊施設での設置に集中することになる。 アリーナから少し離れた体育館が救援物資の集積所になっており、そこに予め発送していた本が保管されている。
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車に積んで来た分も合わせて段ボール箱15個前後。
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仕分けされた箱とそうでない箱があり、事前に「自分なら読みたい本を」という条件を提示してから募集で集めた本なのに、酷い本もある。善意のつもりではあるのだろうが、ただ自分の部屋の整理のために送って来たようなゴミ本を送って来たように思えるのが多数あった。実際、ここ以外の避難所にある本もそんな感じのやつが多い。

これが悪い例↓
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これについてはまた触れるが、これの仕分けに時間を取られ、その思いやりの無い贈り物に対して非常にムカついたので、はっきり言っておく。

・ボロボロの本はいらない

・上下巻の上だけならいらない

・続き物の漫画の8巻と9巻とかマジいらない

・古い漫画雑誌はいらない(古いジャンプ4冊とか送って来た奴に抗議してやる)

・時代遅れの情報本はいらない

・93年版の大学入試問題集なんて受験生全員がいらない

まだ言い足りないが、つまりは被災者をナメんな!という話である。中華料理屋の暇つぶし本ではないのだから、いらない本じゃなくて自身でも今から読みたい本が必要なのである。
事実、そうでない本は全く読まれていない。

スペースに限りがあるので、厳選したオールスターな本を選んだ。
そして、カラーボックスを組み立て、ジャンル別に分けて設置した。
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宿泊施設の大浴場へ行く通り道なので、避難所のほぼ全員が目にする場所だ。 これには喜びの声が聞かれ、嬉しかった。

本の提供者の一人である釣り仲間のkunchanさんはそういうことを良く理解下さっていて、ピッカピカの精鋭の絵本を大量に下さった。また、物品自由提供のスペースがあり、これまたkunchanさんが下さった箱一杯の玩具は設置直後に一瞬で無くなった。
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特にボールやコマは子供達が争うようにして取って遊んでいた。
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他の自由提供物品は余りまくっていて、これは本の場合と全く同じ理由。いらない物はいらないのだ。
ゴミ本は段ボール2箱に詰めて東京へ送り返した。全くもって無駄だ。


夕方になり、盛岡へ戻る予定だったが、宮古市街の旅館に一室取ることができた。本当に運良くたまたま空いたという部屋がこれ。
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広過ぎだって(笑)

でも翌日は釜石市に行く予定だったので本当に助かった。 瓦礫のある場所から1kmほどしか離れていないJR宮古駅前は、もう旅館も商店も居酒屋も殆どが通常営業をしている。 本当に津波が到達したかどうかで天と地のギャップを感じた

【釜石編に続く】