地震が発生した時はお客様宅で商談中だった。

最初はよくある震度2、3と思われたが、壁がミシミシ鳴り、棚の上の調度品がバタバタ倒れ始める。お客様をトイレに誘導して、自分はテーブルの下へ。凄まじい揺れで6年前の福岡の地震を思い出す。鼓動が高鳴り、言い知れぬ恐怖心が頭を駆け巡る。なんて長い地震なんだ。早く止まれ。早く。早く。。。
ようやく揺れが収まると、挨拶もそこそこに外へ出た。
電話は繋がらない。
まだ動いていたバスに飛び乗ったが、吉祥寺通りの入り口で止まってしまったので、あとは徒歩。

16:00前くらいに吉祥寺に到着すると、町の雰囲気は意外にも「普通」だった。いつもより騒がしい感じではあったが、一見壊れた建物もない。みんな人生で味わったことのないような出来事に遭遇はしたはずだが、恐怖が去った後は明るい笑顔で地震のことを話していた。東急からは買物客が何事も無かったように紙袋を持って出て来る。吉祥寺にいた人達にとってこの地震はすぐに過去の物となっていた。その時点では…。

街頭テレビではお台場の火災が報じられていて、大津波が発生したと速報も入り、それを見た人達はただ事ではないなという顔になった。

会社に戻ると警報が鳴り響き、エアコンの風向制御板などが落ちていた。エレベーターも止まっている。フロアに入ると、緊張感はあるものの意外に雰囲気は明るい。しかし、電話回線が断たれ、イントラネットのシステムダウンで、株価も見られない。
情報が入って来ないので、まだ楽観的に考えている節があった。

インターネットが回復したので各金融関係市場の終値を見た。東証は15:00終了なので、地震の影響は思ったより少ない。為替も少し円安になった程度だった。
しかし、地震発生前まで軟調だった建設関連株が終了5分前に暴騰し、軒並み前日比プラスに転じている。何だかやりきれない思いになる。

17:00
解散命令が出され、管理職以外は帰宅するように言われたが、駅が閉鎖されて電車は動いていないし、バス停は信じられないような長い行列。

仕方なく歩いて帰ることにし、幾分頑丈にできていると思われる中央線の高架下を歩いた。歩行者はこの時点ではまだ少なかった。

途中、三鷹駅は混雑していたが、バスが運行しており、運良く武蔵小金井駅行きのバスに乗ることができた。それで何とか家に着いた。
相変わらず携帯が通じない。
公衆電話から会社の直通番号に電話をかけてみたが、やはり通じない。みんな無事に帰れただろうか?

19:00
緊急連絡網を使い、メールで何名かに帰宅困難者になっていないかどうか尋ねたが、返事がない。

20:30
7人が吉祥寺に取り残されていると返信が入る。急いで車を出して、救出に向かう。

21:45
いつもの倍以上かかったが、吉祥寺に到着。7人なので荷台まで満載。違反だと言われても、歩いて帰るには辛い距離だし、女性もいた。なのでここは仕方ないと判断した。
途中、徒歩で自宅へ向かっているであろう人達を何人も見かけた。ヘタり込んで動かない人もいた。それぞれを自宅まで送り届けてから帰宅したのは3:30だったが、寒空の中で帰れない人達のことを思うと自分は幸運だった。。

テレビを点けると震源地に近い地域の情報はもちろんだが、都内の帰宅困難者のことを報じており、地震によって数名の死者も出ていた。

改めて思った。
東京も被災地なんだと。

東北地方の信じられないような映像を目の当たりにしたら、涙が出て来た。

これからのことを考えると気が重くなるが、その昔、我々の祖父母達は戦後灰になった町を復興させて来たんだ。

自分にできることから始めよう。