太平洋戦争が終わり、日本は大変な食糧難に見舞われ
パンは米の代用食として配給されます。
アメリカの政策で「日本人を米と魚から解放するには
よいパンを給することである」と1枚のメモから始まり
食糧難にあえぐ中、余儀なく小麦の導入を受けざるをえなかった
といえます。
あくまでパンは米の代用食、のびないだろうと思われてました。
しかも政府は米の生産に力を注ぎ、昭和30年の大豊作で実を結び
31年の家計調査などによるとパンの消費量は減っています。
しかし、戦後パンはめざましい発展をみせます。
それは、学校給食が関係していくのです。
学校給食には、まず栄養を補うためミルクを取り入れ、続いてパンを
加えることになりました。
パンは、コッペパンですが焼き上がりの重さと、価格が規制されてたので
あまり質の良い物ではなかったとおもいます。
味はともかく、パンは子どもたちの間に浸透していきます。
40年ごろになると、パンのイメージが変わっていきます。
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