チャオチャオ~
キセキの國・日夲に生まれた あたちの おともだちぃぃ~ (◕‿◡✿)
神無月晦日
日ノ本に生まれたことに 神謝
日ノ本で育くまれたことに 神謝
日ノ本 彌榮 彌榮 彌榮
こんにちはさま 日の神さま
今日様 は 太陽
小泉八雲の文章にある「こんにちさま。日の神さま」の
「こんにちさま」とは「太陽」を意味している
明治23(1890)年に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は
出雲の地での朝の光景を次のように描いている
※ ※ ※
今度は私のところの庭に面した川岸から柏手を打つ音が聞こえて来る。
一つ、二つ、三つ、四つ。四回聞こえたが、
手を打つ人の姿は潅木の植え込みにさえぎられて見えない。
しかし、それと時を同じゅうして大橋川の対岸の船着き場の石段を降りて来る人たちが見える。
男女入り混じったその人たちは皆、
青い色をした小さな手拭を帯にはさんでいる。
彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。
これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。そして彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。
長く架け渡された白くて丈の高い橋から別の柏手の音が
こだまのようにやって来る。
また別の柏手がずっと向こうの三日月のように
そり上がった華奢な軽舟からも聞こえて来る。
それはとても風変りな小舟で、
乗り込んでいるのは手足をむき出しにした漁師たちで、
突っ立ったまま黄金色に輝く東方にむかって何度も額ずく。
今や柏手の音はますます数を加える。
パンパンと鳴るその音は
まるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに激しさを増す。と言うのは、
人々は皆お日様、
光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。
「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。
世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする」
たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心が
そんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。
※ ※ ※
いまでも、太陽のことを「今日様」と呼ぶ地方はたくさんあります。
高知の土佐では「こんにちさん」、
新潟の刈葉では「こんにっさん」、
岐阜ではこれがなまって「コンニッツァマ」と呼びます。
これらはいずれも太陽の意味なのです。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』の中にも、
「そんなことをしたら今日様(太陽)へ申し訳ないがなもし」
というようなセリフがあります
この「今日様」が 現代の挨拶で使われる「こんにちは」の語源
昔は、どの地方でも太陽のことを「今日様」と呼んだのですから、
「今日は」という挨拶は、
「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです
「今日は」の後に「お元気ですか」と続けるのが、昔の挨拶だった。
「元気ですか」の元気とは、元の気という意味ですから、
太陽の気をさすことになります。
つまり、「今日は、元気ですか」とは、
あなたは太陽のエネルギーで生きている身体だということを
よく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、
という確認の挨拶だったのです。
それを受けて、「はい、元気です」と答えます。
つまり、「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」
と応答するわけです。
それから、「さようなら(ば)、ご機嫌よう」となります。
「機嫌」とは、「気分」とか、「気持ち」という意味です。
したがって、「さようなら、ごきげんよう」の意味は、
「大陽さんと一緒に生活しているならば、
ご気分がよろしいでしょう」となります。
「今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」
「さようなら、ご機嫌よう」
これが、わたくしたちの挨拶の基本だったのです
「こんにちは」も「さようなら」も
現代の我々は意味も分からず使っているが
元々は 互いを太陽の分け御魂 分け命 という
荘厳な人間観に基づく挨拶だったのである
母親は明るく温かく子どもを産み育て、
一家の世話をしてくれる事から、太陽そのものだ、
ということで「お日身(カミ)さん」と呼ばれるようになった。
それが「カカさま」や「おっカア」や「おかあさん」になった。
日本の子どもは母親を「太陽さま」と呼んで敬っていたのである。
ちなみに父親は「トト様」で、「(太陽のように)尊い人」という意味である。
ただ「カカ(太陽)様」「お日身(カミ)さん」の存在感に比べると、
やや抽象的で陰が薄い。
天照大御神が女性神であったように、
日本の古代の家庭は女性が中心だったのである。
幕末に日本船の船印を決める際
薩摩藩主・島津斉彬は日の丸を提案した。
斉彬は鹿児島湾の桜島に上がる朝日を見て、こう言ったそうだ。
あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て、
鎖国の夢を覚まさなければならぬ。
日本の将来は古代から日本人がいのちの恩として愛してきた
かがやく太陽のようでなければならぬ・・・
そして水戸藩主・徳川斉昭が「長い間日本人が用いてきた日の丸こそ
日本を代表するに相応しい」として、
日の丸を「日本総船印」とするよう決断したのである。