チャオチャオ~ 舞い踊る あたちの おともだちぃぃ~ (◕‿◡✿)

 

 

 

 

 

 

 

ふと ふっと みえてきた

清ら清らな巫女舞

 

 

みえてきたのは えべっさんの総本宮・美保神社さんの

「朝御饌祭」の 巫女舞

 

 

 

 

皐月の新緑の息吹きに包まれて

舞われる巫女舞に 魅入られて 何もかも忘れたひととき

あれは もう20年も前のこと 。。。

 

 

 

美保神社・巫女舞

 

1 年 365 日

欠かさず執り行われている

「朝御饌祭」と「夕御饌祭」

ご祭神へご供物を奉る儀式
祝詞があがった後

神楽の演奏に合わせて巫女舞が奉納されます
「朝御饌祭」 08:30 から 約30 分
「夕御饌祭」15:30 から 約30 分

 

 

 

 

 

物部さん ( ウマシマジさま ) 詣で

おめもじさせていただく そのときに 。。。

再度 えにしを結んでいただけますように 魂ふり ふりふり

 

 

真白の衣をまとうた 美保神社さん

云うに云われぬ いとをかし

 

 

 

 

 

 

出雲大社の祭神・大國主命(大黒さま)の子である 「えびす様」の総本宮

 

出雲大社 と 美保神社の 両方に足を運ぶ 「両参り」がええとされとる

本殿は 美保造りと呼ばれ 

大社造り二棟並べた独特のものです

國の重要文化財に指定されています

左殿に 三穂津姫命  

右殿に えびす様がおられます

えべっさんは にぎやかを好まれるので

鳴りもん好き 多くの楽器が奉納されておる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽がわきおこった。大鼓と竹笛の音である。

楽人が三人、畳の上に坐っているなかに、若い少女がひとり見える。

 

少女がずっと立ち上がった。

素足に雪白の装束をつけたこの少女は、処女の巫女なのである。

よくみると、白衣の裾から緋の絹袴がちらちら光っている。

巫女は、部屋のまんなかにおいてある、小さな机の前にすすみ出る。

机の上には、小さな鈴のついた、なにか木の枝のような形をした奇妙な道具が、

ひとふり置いてある。

巫女は、この奇妙な道具を両手にとりあげると、神楽舞をはじめた。

 

これは、わたしがかつて見たこともない踊りであった。

巫女の一挙一動は、さながら詩である、

それは舞い手がすこぶる優雅だからである。

が、その舞いの所作は、われわれ西洋人がいうダンスということばなどでは、

いかにしても言いあらわすことのできないものだ。

むしろ、これはひとつの円のなかを、軽く足早に歩くといった所作である。

そして、そういう所作を舞い歩きながら、例の手にささげもった奇妙な道具を、

一定の時をおいて打ち振るのである。

すると、それについている小さな鈴が、いっせいにちりちりと鳴る。

 

巫女の顔は、美しい面のように、筋ひとつ動かさない、

まるで夢見る観音の顔のように、しずかで、美しいのである。

その白い素足は大理石にきざんだ水精{ニンフ}の足のように、

じつに線がきれいだ。

雪白の衣裳と、白いししむらと、おちついたその顔と、

この三つのものがあいまって、日本の乙女というよりは、

むしろ、生きている彫像のように見える。

そうして、巫女が舞っているあいだ、怪しい笛の音がすすり泣き、

かきくどき、大鼓が呪文のような低いつぶやきを唱えるのである

 

 

 

 

八雲は、西洋人ではじめて本殿に上がることを詐された者である。

それだけに抑えがたい喜びをもって描いている。

 

八雲の観察は、子供の頃からただ漫然と巫女舞を見ていたわたしたちにとって

衝撃であり、驚きである。

まったく平凡で取るに足りないと思われていたものが、

八雲の目を通すと、途端に生々と生彩を放ってくる。

わたしたちが見落としてしまっていたものを、

一つ一つ丁寧な手つきで拾い上げて示してくれる。

 

拝殿では、絶え間なくお神楽があげられ、

参詣者が引きもきらず賽銭をあげている 

たいていの参詣者は小銭を投げるが、なかには、ごく貧しいもので、

ひとつかみの米を箱のなかへ投げ入れるものもある。

寮銭を投げてから、みな敷居の前でかしわ手を打ち、頭を下げて、

拝殿の奥にある一段高い神殿に向かって、うやうやしく目礼をしている。

参詣者はみな、そこのところにちょっとしばらく立ち止まって、

かしわ手を四つ打つだけなのだが、

なにしろ、入れかわり立ちかわり来るもの帰るものが多いから、

かしわ手の音がまるで滝の音のようだ。

                     (平井呈一訳、『小泉八雲全集』)

 

 

 

夜の巫女舞

これは静かなるミサなのだ

 

明治23年 揺らめく蝋燭の炎の中

 

八雲は見た

魂を鷲掴みにされたに違いない

 

ひとつの円のなかを 軽く足早に歩くといった所作

 

 

神の姿は見えねども

これはイザナギ イザナミの愛の行為

 

求愛行動

 

求愛の舞

 

 

あなにやし えをとめを

 

あなにやし えをとこを

 

・・・みとのまぐわいせむ・・・