チャオチャオ~ 光をもたらす あたちの おともだちぃぃ~ (◕‿◡✿)
祈ること
誰かの倖せを祈ること
それは 善なることではあるけれど
それが どの次元のことなのか
どのレベルにあるんかを
ちょっこと 俯瞰してみることも必要かなと思うのです
父は あたちを愛し あたちの倖せを願ってやまんかったと思っています
けど 父のソレは あたちから自由を奪い 縛り上げておりました
それは多岐に渡っておりました
たとえばたとえば
女は髪が長いもの
女はズボンを履かないもの
扉の開け閉めに音を立てないこと
洗面台を使ったら 水滴すべてをぬぐうこと
箸の上げ下げ 階段の上り下り
身に着ける衣類の 色 形
朱に交われば赤くなる で 友人の選別も父が下しました etc
目が合えば 何か叱責されるのではないかと
びくびく おどおどしつづけた日々
そうしないと 叩かれ 柱に縛られ 納屋に押し込まれ ・・・
高校生ころは ある種の反抗期に入りますよね
それに従わん選択をしてみたことがありました
その時 父は それを止めるまで 無視を続けました ( 子供すぎやん )
今のご時世なら 家庭内暴力 DV そのもの ・・・
なんと稚拙で 狭量なことやろねぇ ぷぷぷっ
どこまでも どこまでも 条件付きの愛 (笑)
そんななかで 自己受容観 自己肯定感など 育ちようもありませんなぁ
その日々は ただただ苦痛でした
一刻も早う 扶養されん立場になりたい 一心でした
あたちは 音に酷く敏感です
聴覚感度が良すぎるんかな とも 思ってきました
最近の映画館の音響 おどおどしてもうて
映画館で映画を楽しむことはできんなりました
イヤーマフ ( 耳栓 ) は 日常的にも必需品なのです
せやから 大規模修繕のドラミングは ほんまに堪えました
∑(*☼_☉*) あ・ぐぅぅぅ ・・・
先日 おのころさんの綴りにありましたん
「 音に敏感 過敏な人は 幼いころに 聞きたくない音
叱責 親のケンカの罵声等々に さらされてきている 」
そういうものが 親の愛というものかと 幼いあたちは思っていました
父の価値観のなかの 娘の倖せというフレームです
彼岸の亡き父にむかって よう 悪態をついてきました
亡き父は 失笑を浮かべて 云うたんや
「 だからこそ お前は 思案できたのではないか ?!
愛することとはなんぞや
倖せを願う 祈るとはなんぞや を 」
誰もが 自分自神のチカラを 備えておる
自分を倖せたらしむるチカラです
それを信頼するだけなんやね
誰かに対しても 自分に対しても
進化(神化)の未知なる道におるのです
失敗 間違いは 当たり前
それを糧に 折れて 曲がって ねじれて
なお 突き抜けていくんや
ドンナアナタモシンジテル
ドンナアナタモアイチテル
そして その前に 最も大事なのは
ドンナジブンモシンジテル
ドンナジブンモアイチテル やね
安心に たっぷんぷん 倖せに たっぷんぷ~ん
あまねく すべてのイノチが かくある世界を
願わくは はじめにありしごとく 今も いつも 世々にいたるまで
ハレでいこ ハレハレで いこいこーーーーっ ![]()

