マダム・けったいはん宇宙の話です

イカレポンチのざれ言と 思し召したまわりませね

 

 

 

なぁなぁ 知ってはる ?

神さまは アホやってこと

神さまは 愛すべきアホやってこと

 

だってよだって

YES しか 知らん

NO を 知らん

アホの最極 最高峰や

 

母なる地球・女神ガイアは

テラン ( 地球人 ) すべてを 受容されとる

「YES」「YES」「YES」 と 云うてくれはっとるやろ

天( 宇宙 )は 全肯定 

「 NO 」 を 知らん  (笑)

 

 

すべて あまねく  思ったとおりになっとる

やんな なっ

 

 

神さまが 声を枯らして 云うてはる

 

「 超ド級の アホ になりなはれ 」

「 アホアホ祭で 生きな晴れ 」

「 アホアホ度 上げな晴れ 」

アホ度を 上げること イコール シフト ちゅうことや

アホ度数によって おる次元が 決まるんや

 

生真面目さんが シフトになんぎするんは こういうこと

悩み 葛藤 比較 優劣 正邪 善悪 嫉妬 恨み 後悔 懺悔

これ シフトさせんようにしとる 重りやよ

自分で自分に そんなん課して なにやっとーん

自分で自分になしといて

ギザギザ トゲトゲになっといて

それを 周りに ゴリ押しして なにがおもろいんじゃ ?!

 

 

思い通りにならんことを 憂い ムカツキしとらんかなかな

地球は 行動の星 

テラン ( 地球人 ) それぞれの 力量を問われとる

行動が モノをいうということ

おなじことを望む人がおって 叶う人と 叶わん人がおるのは

それの発信のカタチ 波動 周波数の違いです

まぁ~えっか しゃーないなぁ きいたろ

と 受け入れられる発信をしとるかどうか

相手の懐に入り込む 童波動の愛嬌があるかどうか

その望みの大小にかかわらず

この人のは ついぞついつい 佳しとしてまう (笑)

あの人のんは 瑣末なことでも佳しとしたらん

こないな カラクリが あるのです

 

端的にいえば

発する側の人が 自己受容できとるかどうか 

同じ発信 希求をするんでも 

自己受容できとる人と できとらん人では

放つ波動 周波数が 雲泥の差があるのん

望みは 当然 言葉 表情 を 介します

どんな言葉を選らんどるのか

どんな表情で どんなピッチで 発しとるのか

希求 望み そのものでのうて

それを 表すカタチ が モノいうのん

 

自己受容できとらん人は 自分で認識できとらんかもしれんけど

その発露は とても 挑戦的 トゲトゲ 

発する前から 当人は もうすでに 臨戦態勢 (笑)

反発 反撃を喰らうことを 想定してなされとる

加えて それは この人なら受けとめてくれるかも

そんな 甘え 依存も伴って 繰り出される

それは 傍から見ておっても 第三者であっても 不快なんよ

 

こわばって 全身重装備 臨戦態勢で 向かえば

それと同じものが 返ってくるのが 理です

ここ 氣づかななぁ

返ってくるもの それが 知らせてくれとるの

相手が あかんちゃうの

相手は 自分の在り方を 見せて 聞かせてくれとる 恩人や

せやのに そこに また パンチ アッパー 繰り出すって www

すべてすべては 自分です 

変えねばならんのは 自分だけです

 

家族 夫婦 親友 親子

どんなに親しき間柄でも みんな違います

違いを ゆるく結びあっていくから 大きな自分を生きられるの

そこに タンカ切るような接し方

トップダウンな云い切り

ケンカふっかけるような云い方 したら

なるものもならん のが 道理です

自分で孤立を創造しとることに氣づかなならんちゃうかな

 

 

どないして そんなふうにしか 自分ができひんのんか

ここの 深掘りをすることが 必須デス

自分は 自分にしか理解できません

自分は 自分にしか救えません

自分しか自分を 倖せたらしむることはできません

しっかり きっちり みっちり 自分と向き合うしかないのです

 

幼子の希求は ええとかあかんとかない領域から繰り出されてきますよね

せやから まぁ~えっか しゃーないなぁ したろか (^ε^)♪ 

になりますやん

なされることは すべて 自分が自分になしとることです

内観 自分の潜象界に奥深く 潜らな 解決はなされがたし

 

それと 自らの発信の違いについて あみあみされたし