チャオチャオ~ あたちの おともだちぃぃ~ (。◕‿◕。)

 

 

結婚して ずいぶん長い時が流れました

昨今 思うのは

結婚とは 時間によって はぐくまれるものだということ

結婚式を挙げ 籍を入れても それは結婚とはいえん

 

日々の暮らしの中で

刻々と形を変える ふたりの関係

それ それものが 結婚なんやと思うのです

 

たとえば 喧嘩の形も ずいぶん変わりました

当初は いつ終わるともしれん 果てしない喧嘩をしました

精魂尽き果てるまで やらな 気持ちが収まりませんでした

夫は 怒るということのない人゛

その 熱くならんところに いつも苛立ちました

相手が 冷静なほどに こちらは 火に油を注ぐ結果になりました

さぞかし 夫は うんざりしたことでしょう ・・・・・

 

年月という時間が過ぎて

喧嘩の途中で 小休止がとれるようになりました

すこし 頭を冷やそう  

冷静になる必要がある

主張するだけでのうて 相手をとりま受け入れてみよう

そう思えるだけの 余裕が生まれてくるようになりました

 

そして いま 喧嘩をすることは ほとんどのうなりました

問題が起き 諍いになったとき

どんな流れになって どう終わるのかということが わかるようになったんです

無駄なエネルギーを 使わずにすむようになっておるんやね

相手は変わらん もちろん 自分も変わらん

人間 そうそう変わらへんのや ということを

長い年月のあいだに 体得してきたんやろなぁ

(><)♫ うっふっふ~

つまり

同じことで 腹を立てる自分がおる

同じことで あたちを怒らせる夫がおる

進歩がないことに 憐憫すら覚えるのです

 

心理療法家の トマス・ムーア氏は

スイスのユング派分析家 アドルフ・グッゲンビュールの言葉を借りて

こない云うてはります

 

 

「 結婚とは 幸福にいたる道ではなく

  個性化のプロセスの一形態である 」

 

個性化というのは

「 一生かけて かけがえのない 個性的な人間になるために 魂を磨く 」

ということだと 綴られています

 

「 結婚が魂の成熟する舞台である 」

 

という彼の考え方を 時間をかけて気づき 学び

実践してきたということかなぁ

 

せやから 結婚式で 私たちが誓う親密さは

 

「 魂の美しさと 邪悪さの入った

   パンドラの箱を 共に開けること 」

 

結婚式のとき 誰もが感じる どこか物悲しい気持ちは

それを 心の深いところで 感じ取っておるからちゃうかな

 

結婚は 密度の濃い 人間関係のポットの中に

手と手をとりあって 飛び込むこと

その勇気を持つ覚悟があるかどうか

それを 共にやれる相手かどうかを 見極めなならん

相手を 丸ごと引き受ける覚悟があるのかどうか

 

ふたつの両極端なほどに 違う個性が

時間という とろ火にかけられ ゆっくり溶け合って

すこしずつ 混ざりあっていく それが結婚

 

その味わいは 何ものにも代え難いほど 甘く

そして ・・・・・ ほろ苦い

 

 

 

わたし と あなた で 始めた旅は

トキを経て

わたしでものうて あなたでものうて

わたしたち という 別の生き物になっていく旅

 

夫と妻の心がひとつになることほど しあわせなことはありません

「無私」 わたしであって わたしでない

わたしたち ということを 行じておるのやから

自由自在を体験できるのん

それを知り  それを深く 高く 広く知るために

人は 男と女に分かれて あらためて 結びあうんやと思います

でも なかなかひとつにはなれへんから

そのひとつを求めて 目指して 人生という学校に通いつづけてるんやと思うんぇ

 

初めて 触れたあの日

ぎこちなかった手と手

寒い日も 暑い日も 遠出も 散歩も

いつも つないできた 手と手

振り返ってみれば 

ふたりの手が 触れておった時間は

ふたりの心が 重なっておった時間だったことに 気づくのです

同じ時間に 心を重ねて過ごす

そんな日常を しあわせというんちゃうかな

初めて 出逢うたあの日

言葉を重ね 心を重ね 時間を重ね

手を重ね 唇を重ね 身体を重ね 幾年月

あたちは 自分のあずかりしらん世界を 体験させてもろうてる

自分が 成長拡大拡張するごとに 相手も 成長拡大拡張しておる

自分宇宙の進化(神化)は こないな螺旋の上昇をさせてもろうてる

 

すべてすべては あんじょういっています

おおきにさん さ~ん