チャオチャオ~ あたちの おともだちぃぃ~

 

妙齢で 何がしかの活動を続けておられる人々は

「身体知性」 とでもいうものに身を委ねておられるように感じられるねんな

 

漆喰のように 何度も何度も塗り重ねてきた「物語」みたいなものを深めるのではのうて

逆に 「脳からの支配から離れる」ことへと移行していくような

余計な意味づけを削いで軽くなっていくこと

それを成熟というのかもしれないと感じるのです

 

人間は その人それぞれの「そのとき」を越えると

身体自身が 行動を始めるようになるように見受けられます

「そのとき」は 病やったり 災難やったり さまざま

 

今までずっと 

思考 頭 脳が司り支配し動かしてきたすべてのことを

身体自身が バトンタッチしていくのです

 

身体は 辛抱強く 我慢強く  「そのとき」 を待っておったのです

 

はいっ ここからは 

マダム・けったいはんが バトンタッチさせていっただっきまぁ~す 

 

自分が 本当にやりたいことや 人生の目的 イノチの使い方は

考えておっても見つからへんよ

わくわく波動でおらんで 頭で考えておったら見つからへん

だってよだって 見つけるものちゃうもん

「気づくものやもん」

「思い出すものやもん」

 

「わたしのワクワクは どこにあるん ?」

「わたしは何のために生きてるん ?」

 

って 眉間にシワ寄せて深刻に考える人 多いんやけど

考えるってことは 左脳(論理 理性 順序たてる 外からの刷り込み 誰かの意見)

左脳が 現実を見るとき 一体性を経験することはできまへん

分裂と分離しか目に入らないんよ

左脳は 二極性 二元性でしか見ることができまへん

善があれば悪があり 正があれば邪があり という見方です

いろいろあること それが一体性なんやけど それは右脳にしか見えまへん

左脳が 「現実」を見るとき 一体性を経験することはありまへん

ただ分裂と分離しか目に入らへんの

自分が認識しておる自分というシロモノも 

けったいなことに 左脳が認識しておるホロスコープなんやけど

その幻想の自分を自分と認識しておる あちゃー (◞‸)

ほんまの自分は 右脳の範疇にあるのが実相

ほんまの自分は 完璧なるひとつなんやけどなぁ

 

顕在意識の自分では 自分を超えられへん

潜在意識の自分自神に 手伝うてもらわな超えられへん

そもそも 眉間にシワが寄ってる状態は ワクワクから遠すぎて(笑)

見つけられへんで当然やわ

「深刻」 って 「神刻」 やからね

自分自神を刻して おとしめてるってことに気づいてや

「悩み」ってのんもね 「汝闇」やからね 悩まんといてや

 

「身をもって体験」するからこそ

生々しくて 鮮明で 実感をともなって腑に落ちる 

抜け落ちてるねんな 身体体験 

思考 思考 意識 意識 意識 ってクローズアップされすぎとって

頭の中のことだけが もてはやされて 走らされとるかんじ

でも 私たちは 肉体をもってる人間やから

体験して 感じていくことが すべての変化の大元になっていく

 

私たちは 地球に生まれてくる前  思えばすぐ現実化する世界におりました

欲しいと思えば 目の前に出現し

行きたい場所を思ったら即 そこは行きたい場所です

あらゆることは 即実現する世界におりました

実際に 本を書くということを楽しみたいと思いました

実際に 一歩一歩登ることを楽しみ 山頂からの景色の醍醐味に感動したいと思いました

 

せやから 神さまにお願いしました

「 思いが ちょっこしずつ現実化していく過程を楽しみたい

  だから 物質世界の地球に生まれさせてください 」

忘れてしまっておるだけです  思い出してくださいな

 

思い出すのに いちばんええのが わくわくって感覚やよ

他の人の目が気にならないくらい夢中になれること

トラブルが起きても どうやってクリアーしようと前向きに取り組めること

そんなことが おともだちぃぃの ほんまに好きなこと 

思いっきり 自分遊園地で はっちゃけチャオチャオ~  

 

 

      Con la Luce✦♫♬✦ Stella specie