ダメ男に惹かれた若い頃の悪しき性癖は克服したはずであった。
しかし最近、私は自分の中のある後遺症の存在に気がついた。
便宜上【エマオの旅人症候群】とでも名付けておく。
エマオの旅人とは新約聖書に出てくるエピソードの一つだが、これはキリスト教とはとりあえず関係のない話である。
ミッション系の学校に通っていた頃、たまたま覚えたから、つけただけのこと。
今でもダメ男には出会う。
たいてい娘とその友達の彼氏群であるが、私は彼等を邪険に扱う事はしない。
エマオの旅人だと思うからである。
しかし、人生の途上で出会うあらゆる人がエマオの旅人なのだと考える方が私としては好みなのだが、クリスチャンでない私が言ってみてもしようがない。
第一、エマオの旅人的発想は仏教でも見られるらしいから、厳密に考えれば相違点もあるだろうが一応普遍的な人間観の一つのようである。
私は若いダメ男の扱いを心得てしまったせいか、彼等から母親のように慕われる事があるが、うれしくも悲しくもない。
格好の良い言い方をすれば、中東の乾いた風が胸の中を吹いてゆく感じなのだが中東へは行った事がないんだったw。
時折、自分がどこかで大人になりきれてなくて、青春の残骸を未だに引きずっているように思う。
だとすれば、自分は無残な妖怪であると戦慄するしかないが、後遺症だとか症候群と言う単語を使ったのはその辺りと関係がありそうである。
しかし、エマオの旅人のエピソードは、純粋に物語として捉える分には美しく、個人的には偏愛するものである。
しかし最近、私は自分の中のある後遺症の存在に気がついた。
便宜上【エマオの旅人症候群】とでも名付けておく。
エマオの旅人とは新約聖書に出てくるエピソードの一つだが、これはキリスト教とはとりあえず関係のない話である。
ミッション系の学校に通っていた頃、たまたま覚えたから、つけただけのこと。
今でもダメ男には出会う。
たいてい娘とその友達の彼氏群であるが、私は彼等を邪険に扱う事はしない。
エマオの旅人だと思うからである。
しかし、人生の途上で出会うあらゆる人がエマオの旅人なのだと考える方が私としては好みなのだが、クリスチャンでない私が言ってみてもしようがない。
第一、エマオの旅人的発想は仏教でも見られるらしいから、厳密に考えれば相違点もあるだろうが一応普遍的な人間観の一つのようである。
私は若いダメ男の扱いを心得てしまったせいか、彼等から母親のように慕われる事があるが、うれしくも悲しくもない。
格好の良い言い方をすれば、中東の乾いた風が胸の中を吹いてゆく感じなのだが中東へは行った事がないんだったw。
時折、自分がどこかで大人になりきれてなくて、青春の残骸を未だに引きずっているように思う。
だとすれば、自分は無残な妖怪であると戦慄するしかないが、後遺症だとか症候群と言う単語を使ったのはその辺りと関係がありそうである。
しかし、エマオの旅人のエピソードは、純粋に物語として捉える分には美しく、個人的には偏愛するものである。