7/31投稿記事の続きです。




先日、といってももう4月の事ですが、フジテレビ系で木曜夜9時に放送された『私のバカせまい史』という番組で「ものまね芸人vs辛口審査員・淡谷のり子 低得点史」というテーマで考察を繰り広げていました。
(詳細な内容は割愛します)

淡谷先生、懐かしい。


1980年代当時の『ものまね王座決定戦』の映像がいくつか流されたのですが、その映像に峰岸徹さんの姿もあったのです。
当時番組を観ていてご記憶の方もおられるかも知れませんが、一時期(88年前後)峰岸さんも審査員として出演されていました。
私はこの番組が好きで毎回のように観ていたのですが、ある日突然審査員として現れた峰岸さんに少々驚きました。
今考えれば本当に申し訳ない気持ちなのですが、あの時は「あんな大変な事があったのに、なぜこんな番組に出て楽しそうに笑っているのだろう」なんて思ってしまったのです。 





そうです、この映像を見た事が投稿のきっかけとなったわけなのであります。

当時はちょっとモヤモヤした気持ちを抱いていましたが、峰岸さん的には疚しい事は何ひとつないからこういうバラエティー番組にだって悠然と構えて出演していたんだろうなと、30年以上の長い時間が経過し当時知り得なかった情報を得て、私自身もそれなりに歳を取っていく中で色々と考えるようになりました。 


峰岸さんは50代半ばを過ぎてからトライアスロンを始めているのですが、私はこんな本を所有しております。



2001年に出版された本です。
2000年に宮古島で開催されたトライアスロンの大会に出場された時の細かな記録や、挑戦に至るまでの心境などが克明に記されています。

50代という体力的にも下り坂な年齢でこの競技に挑むエネルギーがあるのは凄い事です。
そして私が意外に思ったのは、お子さんについても書かれていた事。

あの出来事があった当時、峰岸さんには近々入籍予定の婚約者がいましたが、諸事情で入籍が先送りとなってしまいました。
以前ネットの掲示板サイトで、その後うまくいかなくなってお別れをしたとの書き込みを目にした事があって、半信半疑ながらも気になっていました。
しかし、この本を読むと結婚されて二人のお子さんに恵まれていたことがわかったのです。2000年当時、上のお姉さんは大学生、再婚後に設けた下の二人のお子さんは小学生になっていました。
余計なお世話ながらも、「ああ、よかったな」なんて何だか思ってしまいました。

峰岸さんの人となりというものはよくわかっていませんでしたが、本を読むと、年齢を重ねても高みを目指す姿勢や衰えない情熱、トライアスリートとしての峰岸さんをサポートしてくれた周囲の人達への感謝や優しさなどを感じる事ができました。

そして、それらは役者・峰岸徹さんとしても十二分に差し出されていた事でしょう。
そんな峰岸さんと一緒に仕事をした岡田有希子さんが惹かれたのもわかる気がするなあ。





長い長いうだうだ話でしたが、最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました m(_ _)m 

最後に、若かりし頃の峰岸さんのCM映像を見つけましたのでお借りして貼らせて頂きます。男前です。