『 ムカつき、苛立ち、腹立ちの感情に疲れた人へ 』
ムカつくのは、
イラつくのは、
腹が立つのは、
その対象に何かしらの依存をしているからである。
依存していると言われると、
承諾し難い面白くない気持ちになるかもしれないが、
自分のことを良く言えよな!
とか、
自分のことを悪く言うなよな!
とか、
自分のことをバカにするなよな!
とか、
自分のことを敬えよな!
とか、
物事は正しく理解しろよな!
とか、
自分の段取りをちゃんと察知して邪魔するなよな!
とか、
人と話すときは、人の目をちゃんと見ろよな!
とか、
人の気持ちは正しく理解しろよな!
とかetcetcなどなど、
これらの思いは、そのまま、他者への欲求であり要求なのである。
他者に対する欲求や要求とは、すなわち、他者に対する依存の思いなのである。
依存の思いとは、イコールで、
相手の心(思い)を自分の自由にしたいということでもあるのだ。
この他者に対する依存の思いが成就しないと、
ムカつくのである、イラつくのである、腹が立つのである。
他者への依存の思いを、
もっとよろしくない言葉で表現すれば、
相手の心(思い)を支配したいという思いだとも言えるのだ。
相手の心を自分の思い通りに支配したいのに、
自分の思った通りになってくれないから、
ムカつくのだ、イラつくのだ、腹が立つのだ。
もし逆に、
相手が自分の思い通りになってくれたのならば、
そのような不快な思いにはならないはずだからな。
この、
依存心 = 相手を支配するという、
よろしくない言葉で表現したのは、
依存心というものを、あんまり、正当化したくないからなのだ。
なぜにか?
自分の心に生じた依存心(他者への欲求・要求)というのは、
そのまま野放し状態にしておくと、
なんらかのキッカケ作用で、
ムカつき、イラつき、腹立ちの時限爆弾となるからだ。
時限爆弾というか地雷かな。
欲求・要求が成就し続けるかぎり、爆発はしないからな。
これらを、まとめ的にいうと、
依存心というは、マイナス感情発生の種となってしまうということだ。
ゆえ、
(自分の心の中で、)
依存(欲求・要求)の思いが動いたのをチェックする。
そして、つかまえて、修める。
これ、
自分の心の中で、ついつい発生してしまう、
ムカつき、イラつき、腹立ちの感情にウンザリ疲れた人にとっては
かなりにお薦めな 「 思いの修養 」 だ。
それほど疲れない人にとっては、どうでもいいことだけどもな。
*
依存心を支配と表現した。
この支配という言葉をみた時、
連想的に頭によぎってくるものの中に、自由という概念がある。
自由とは、
自分の生き方を、誰にも強要されることなく、自分で決めることができる!
ということだ。
(生き方の中には、いろんなものが含まれる。 我が儘とは違う。)
おそらくでもなく、
自分以外の誰かも、
意思をもった人間であるならば、
当たり前の如くに、その自由を求めていると考え、
そして、その心にそれを重ねれば、
ジワジワと、または、ハッとするかのように、
他者への依存(欲求・要求)の気持ちが薄れてきたりも、するでしょう。