『 心のネットワークは法則的なのです・・ 』
” 自分の自分に対する扱いが、
他者からの自分に対する扱いにとなる。 ”
この事実に気づけた人は幸いである。
その時点から、
自分への扱いを修正することができるのだからな。
今、この事実に気づけない人は、
他者から、そう扱われてからでも、別に遅くはない。
(重度でなければ・・)
” 自分の自分に対する扱いが、
他者からの自分に対する扱いにとなる。 ”
という言葉を知ってさえいれば、
とある瞬間、
とある連想的かつ分析照合的な思考の流れの中で、
「 あの話は事実かもな! 」 と思えた時点から、
自分への扱いを修正することもできる。
ではさて、
自分の自分に対する扱いとは、どんな状態のことをいうのか?
というと、
「 自分は頭が悪くてバカだから・・ 」
と思っているとしたら、
その思行為が、自分の自分に対する扱いということなのである。
そのように自分を扱っていると、
いずれ、
他者からも、
「 あの人は頭が悪くてバカな人間だからな! 」
という認識で扱われるようになってしまうということである。
また、
「 自分という人間が存在すると、その場の空気を悪くしてしまう・・ 」
「 だから、その場に行くわけにはいかない・・ 」
と思っているとしたら、
その思行為が、自分の自分に対する扱いということなのである。
そのように自分を扱っていると、
いずれ、
他者からも、
「 あの人が来ると、場の空気が悪くなるから、来ないでほしいよね! 」
「 あの人の姿をみるだけで、不幸がうつってしまう!! 」
などなどと、
みえみえの態度や、
あからさまなる嫌悪で扱われたりもしてしまうということである。
そう、
本人的には、
相手を嫌な気持ちにさせない為の心優しい気づかいで、
「 自分という人間が存在すると、その場の空気を悪くしてしまう・・ 」
「 だから、その場に行くわけにはいかない・・ 」
と思っていたとしても、
そのような扱いを自分でしていると、
いずれ、
他者からも、
リアルに、そのように、扱われてしまうということなのである。
また、
「 自分って、悲劇的で可哀想な人間だな・・ 」
と思っていると、(扱っていると)
他者からも、
あの人といると、
「運や幸せを吸い盗られてしまいそうだからイヤだ!!」
「私まで、暗い気持ちになってしまうから、あの人の姿を見たくない!」
というような扱いをされる現実を招いたりもします。
(↑理解し難いかもしれないが、これらは事実ゆえ、早く気づければ本当に幸い。)
そう、
自分に自信を持てないのは、別に悪くはないのだが、
その自信の持てなさが、
反芻的なる自己嫌悪や自己卑下の域に発展すると、
(いずれ、)自分自身が不幸な現実を、
リアルに味あわなければならなくなるゆえ、
早いうちに、この法則的なる事実に気づいて、
自分自身に対して
肯定的なる扱いができるように修正したほうがいいと思うのです。
そう、
「 自分はダメな人間だ・・」
と思う(扱う)かわりに、
「 自分って素晴らしい!」
と思う(扱う)ように修正したほうがいい。
「 自分って素晴らしい! 」とは思い難いのであれば、
「 自分も素晴らしい! 」と繰り返し思えばいい。
「 自分は、感じのイイ雰囲気をかもしだしている!」と思い難いのであれば、
「 自分も、感じのイイ雰囲気をかもしだしている!」と繰り返し思えばいい。
「 自分はできる人間だ!」と思い難いのであれば、
「 自分もできる人間だ!」と繰り返し思えばいい。
「 自分は明るい人間だ!」と思い難いのであれば、
「 自分も明るい人間だ!」と繰り返し思えばいい。
etc、etc・・
兎にも角にも、
他者からマイナス的に扱われて、
悲しくなったり、辛くなったり、腹が立ったりする心があるのならば、
自分の自分に対する扱いは、プラス的な扱いをしたほうがいいでしょう。
他者からマイナス的に扱われると、
悲劇のヒロイン的な憐憫快感や、
マゾ的な疼きがあるのならば、
自分の自分に対する扱いは、マイナス的な扱いをしたほうがいいでしょう。
そうよ、
他人に対しては、優しく肯定的なる思いをいだける人よ!
なぜに、自分に対しては、優しく肯定的な思いをいだけないのか?
と、常々自問自答をしたほうがいいと思う。
「自分は、過去、他人を傷つけたことがあるから・・」という
明確なる答えが返ってくれば、
大いに反省して回心すればいいが、
明確なる答えが返ってこなければ、
とある自分に意味もなく思い込まされているという認識で、
マイナス的に思いたがる とある自分に疑問をいだけばいいのである。
きっと、なにかしらの変化が心に生ずることでしょう。
自分が嫌いな人は、本当の意味で、他人を愛することはできない・・
自分を否定的に思う人は、本当の意味で、他人を肯定的に思うことはできない・・