『 [ 超!お金論 ] お金は悪なのか? 』
[テーマ]:お金は悪なのか?
いやいや、お金という存在自体は、絶対的に、悪ではないです!
と、まず、私的に断言したいです。
むしろ、私的には、お金は善ですと言いたいですね。
ええ、でも、
善寄りな私心を抜いて言うと、
お金という存在の立場的な位置づけは、
善でも悪でもなく、中立といえるのかもしれません。
ええ、
日常必需品にたとえれば、
キッチンの包丁みたいな存在ともいえるかもしれません。
包丁は、
人間の生きるエネルギー(料理)を作るために必要な道具にもなるし、
人を殺めたり傷つけることも可能な道具にもなりますのでね。
ええ、そう、
お金の存在自体は絶対悪でも絶対善でもなく、
その使用方法によって、悪側に立ったりもしますし、
その使用方法によって、善側に立ったりもします。
ええ、
ある誰かを暗殺してもらう依頼金として、
お金を使用すれば、悪側の存在に映るでしょうし、
ある誰かを救出するために雇う傭兵への依頼金として、
お金を使用すれば、善側の存在に映るでしょうしね。
なので、
善か悪かのレッテルは、
使用目的と使用時の心境によって変わるのであり、
一般世間の風潮的に、
多額のお金 = 悪 とレッテルづけされては、
お金という存在が可哀想すぎるとも思えてしまいます。
お金を擬人的に扱ってしまいましたが、
やっぱり、お金は擬人的に扱ってもいいと思えます。
変な誤解をされたり、
変なレッテルを貼られた経験のある人ならば、
そんなお金の気持ちを理解してあげられる器もありき?だと思いたいです。
ええ、
お金という存在は、
ちゃんと、善なる手助けもしてきましたし、
多くの人々の命や苦しみや悲しみや未来に対する失望etcに
救いの手を差しのべ、幸せを与えてきた存在でもあります。
ええ、
冷静に世の中を見渡してみますと、
おそらくでもなく、
多額のお金を所有しているならば、
世の中の人間の悩みの80%~90%以上は解決できるとも思えます。
ええ、
保険料や住民税etcも溜め息つくことなくに払えますし、
子供の学費も、難なく払えますし、
会社が潰れたら家族が養えなくなるという不安も消えますし、
老後の心配も解消されますし、
借金苦による自殺という選択からも開放されますし、
親善団体に寄付することもできるし、
孤児院に匿名で贈り物をしてあげることもできますし、
などなどetcetcと、
多額のお金があれば、
つまり、お金に困らなければ、
人生の悩みの80%~90%以上は解消されるのです。
ええ、勿論、
お金があっても、
病気から自分や大事な人たちを100%防衛することはできないでしょ?
、という人もいるでしょうが、
お金がないよりは、救える確率がグンッと上がります。
また、
お金で信頼は買えないという人もいますが、
「勿論、信頼はお金では買えません!」と、
いちいち言うのもアホらしくなるくらいに、
人間の心(気持ち)はお金では買えないというのは当たり前のことであり、
「 信頼はお金では買えない!」 と口にして、
お金を批判したがる人間の性質自体に、
歪んだお金の使用目的と同等の、歪んだ心の問題があると思えます。
人の肉体的な諸行は、お金で支配することができますが、
人の心(気持ち)は、愛(理解etc)でしか動かないのですからね。
多額のお金で、肉体は、アホ!キモ王子に抱かれたとしても、
心の中で叫んでいる 「 アホ!キモ王子!嫌っ!」 という気持ちだけは、
さすがに思い通りには支配できませんですからね。
そんなことは、
自分だったらの場合で考えれば、普通に分ることですからね。
ええ、てな感じで、
お金では解決できない悩みの10%のなかには、
好きな人に心を奥底から本気で愛してもらう・・etcは入ってます。
でも、
お金の魅力によるマジックにて、
一時的に幻覚を魅せることはできるかもしれません。
(↑使用目的、使用時の心境に歪みが・・ってな感じかな?)
ええ。
ええ、
などなどetcと、
こんなにも、善なる手助けをしてくれるお金なのに、
なぜに、
世間一般的な風潮として、
「 お金 = 悪 」 とレッテルづけされてしまったのか?
そう、
金持ち=高慢で人を虫けらのように扱う的な、
映画の影響もあるでしょうし、
本やドラマの影響もあるでしょう。
また、
宗教的な場合、
「 金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を通るほうがまだ易しい 」
というイエス・キリストの言葉とか、
仏陀が、弟子と山道を歩いているときに、
金貨が落ちているのを見て、
「 こんなところに毒蛇がいる 」 と言ったという説話などがあります。
この、世界的に有名な人の説話を表面的に理解納得すると、
金=悪!と認識されやすいとも思いますし、
実際に、キリスト教や仏教において、
信者に、金=悪!という認識が、
サブリミナル的に植え込まれてしまってるのも事実でしょう。
純粋な信仰心を持っている人ほど、
イエスや仏陀の言った言葉の印象から、
お金 = 悪!と認識してしまいやすいとも思います。
また、
とある宗教団体によっては、
それら、イエスや仏陀の言葉を利用して、
金は悪だから、団体に寄付して魂を清めなさいなどと教えて、
信者からお金を騙し盗ってる団体も沢山あるでしょうとも思います。
あと、
いろいろな諸問題もあり、
宗教的な思想を持っている人は、
お金 = よろしくない!
というイメージを抱いている人が多いかな?とも思います。
ええ、だけど、
私的に言わせてもらいますと、
お金に対する考え方が浅いのでは???と思います。
(↑上から目線ではないですよ!)
また、
共産主義思想&唯物思想の生みの親・マルクス的にいえば、
裕福な金持ちの生活は、
貧しい人の嫉妬心を煽って、
憎しみの世界をつくりやすいし、
裕福をうらやむ心が犯罪に駆り立てる・・!
ゆえ、
多数を占めた貧しい人の嫉妬心を都合よく正当化するために、
裕福な金持ちの存在を悪と認識し、
格差をなくして、人々を、皆、平等化させる。
この、
マルクスの共産主義思想こそが、人類を平和に導く思想なのだ!
と思い込んだ人たちによる、
金持ち = 悪!というレッテルづけもあるでしょう。
そう、
何度でも言いますが、
共産主義思想は、
人類を平和に導く思想ではなく、
たんに、裕福者に対する嫉妬心の正当化なのです。
マルクス本人が、貧乏人で裕福者に嫉妬ばかりしていたのです。
その、自分の僻み精神あふれる嫉妬心を、
自分にとって都合よく上手に変形させると(正当化すると)、
同じ国に住む国民同士なのだから、
貧富などの格差を排除し、
人は皆、均一で平等という生活を国是にすれば、
醜い争いのない平和な世界が築けますよ!
ってな思想になってしまうのです。
どうですか?
同じ国に住む国民同士なのだから、
貧富などの格差を排除し、
人は皆、均一で平等という生活を国是にすれば、
醜い争いのない平和な世界が築けますよ!
っと、この文章だけ読んだら、
なんて素晴らしい思想なんだぁ~♪ぽわわぁ~♪
となって、
共産主義思想信者になってしまう人の存在も、
なんとなく納得できてしまうでしょ。
一時は、
地球の半分が共産主義思想で覆われたこともあったのです。
ええ。
ええ、
金持ちが、
3000万円のフェラーリーを購入して乗ること自体は、
まったく悪ではありませんし、
誰かを傷つけたり、迷惑をかけているわけではありません。
し、
200万円くらいの高級なバッグも購入して持ち歩いても、
誰も傷つけませんし、迷惑もかけていません。
現実実体的に、
誰も傷つけていないし、迷惑もかけていないのですが、
ただ、
それを羨ましく思う人の嫉妬心だけが、
自己都合的に傷つき、迷惑を感じてしまってるのです。
その嫉妬心の発生を、マルクスの如くに正当化すると、
金持ち(裕福) = 悪!となってしまうのです。
そう、
マルキスト(マルクス主義者)曰く、
その嫉妬心たちを肯定化し正当化すると、
金持ち=悪だ!格差=悪だ!不幸と争いの根源だ!
だから、
金持ちも貧乏もない世界にしよう!
人間は、皆、平等に扱おう!
となり、
現実的に、
そのような考え方を則とした世界になってしまうと、
収入源になっていた稼げる会社や人材が減少し、
結果、その思想に感染した国全体が貧乏になるのです。
国が貧乏になると、
裕福な他国に嫉妬するようになり、
いろんな形で暴れるようになるのです。
今でいえば、北朝鮮みたいなもんです。
中国は、政治は共産主義ですが、
経済は資本主義にチェンジしたので、
今のように、儲けることができたのです。
とはいっても、
政治が歪んだ共産主義ですから、
経済は資本主義で裕福になれたとしても、
やっぱり共産主義の影響に侵食されて、
歪んだ資本主義になり変わり→衰退となる日は近いでしょうと推測します。
~ 話を国→個人へ戻します ~
ええ、強く言いたいのは、
同じ、稼ぎの少ない貧乏人であっても、
金持ちの生活や行動に嫉妬して、
相手を不快な気持ちにさせ、
自分の傷つきを癒す人もいれば、
金持ちには金持ちなりの努力と苦労があると理解し、
自分は自分なりの生活をしようと思って、
嫉妬に傾きそうな心を立て直して生きている人もいるのです。
今現代、格差是正やら何やらを記事にし、
貧しい者たちの嫉妬心というものを肯定したがる勢力もありますが、
嫉妬心というものを肯定化・正当化するのは、
あらゆる意味において、間違っていると思います。
自分の心に聞いてみてください。
金持ちや成功者に対して、
無理解に嫉妬して、批判して、傷ついた自分を癒す人
と、
金持ちや成功者を祝福し、その努力を労う人
だったら、
どちらの人物に惹かれますでしょうか?
とちらの人物と友達になりたいでしょうか?
ま、
いろいろな声があると思いますが、
今現在、金持ちの人は、
他人の嫉妬心なんて気にしないでほしいと思います。
周りのことなんて気にしないでもいいから、
お金を持っている人は、
高級車を買ったり、高級バッグを買ったり、
高級貴金属を買ったり、豪邸に住んだり、
別荘を買ったり、電化製品を頻繁に買い換えたり、
旨いものを一杯食べて、
経済をまわすことに大貢献してもらいたいと思います。
誰かの使ったお金は、誰かの収入になりますので、
誰かの収入を増やすことに大貢献してほしいです。
自分も楽しみつつ、誰かの収入(幸せ)に貢献できるだなんて、
冷静に考えれば考えるほど、素晴らしいことだと思えます。
それに、
お金持ちが高額な商品をいっぱい買ってくれるから、
その商品が安くなり、
低額所得者でも手の届くような一般商品になってくれるのですからね。
プラズマ薄型テレビなどがいい例です。
あのテレビは、開発前中から、
一台、最低でも50万円、60万円の高額商品になるだろから、
おそらく一般市場では売れないだろうという見積もりで、
駅や空港での案内パネル用を使用目的とした商品として売り出したのに、
あれやこれやと、
金持ちの人たちの間で大ヒットしてくれたおかげで、
30万円代、20万円代、10万円代、10万円以内代と価格が下がり、
一般家庭にも広く普及されるようになれたのです。
金持ちが買わなければ、薄型テレビなんて普及しなかったのです。
金持ちたちによる消費の拡大により、
高額から手ごろ額になった商品はいっぱいあるのです。
ええ、
金持ちは、お金を使うのが、世に対する貢献ですので、
ケチらずに、ジャンジャンお金を使って下さい。
金持ちが、質素な生活をし、お金を停滞させたら、
それこそ、経済不活性の罪を犯しているのと同じになると思うのです。
メザシのナントカさんという有名な人がいましたが、
金持ちは、
庶民魚のメザシを食べるのではなく、
高級魚のノドグロやマグロを食べてください。
メザシを食べてる金持ちなんて、
庶民には好感をもたれますが、
現実実体的には誰かの収入に大貢献していませんのでね。
お金持ちは、気がねなく、ジャンジャンお金を使いましょう!
やっぱり気がねしてしまうというのならば、
コソコソでもいいから、ジャンジャンお金を使いましょう!
寄付する自分が偽善っぽくてイヤというならば、
寄付なんてしなくてもいいから、
自分らの為に、ジャンジャンお金を使いましょう!
それが、金持ちの使命だと思います。
お金という存在は、
一生懸命に汗水流して稼いだお金でも、
宝くじで当たったお金でも、
貰ったお金でも、お金の存在自体は中立なものです。
なので、
固定観念的に、
楽して稼いだお金は、悪だ!と決めつけずに、
どんな形であろうとも、
お金という存在自体を肯定した方がいいと思います。
勿論、
苦労して稼いだお金と、
楽して稼いだお金とでは、
使う時の思いに違いがでます。
苦労して稼いだお金は、大事に使おうとするし、
楽して稼いだお金は、欲望のままに使ったりもします。
悪であるのは、その使用目的と、使用時の思いであり、
お金という存在自体ではありません。
この世で生活していくかぎり、
お金は、絶対的に必要な存在です。
似たようなことを何度も言いますが、
汗水たらして稼いだお金だから良いお金とか、
宝くじで当たったお金だからダメなお金とか、
サブリミナル的にかつ固定観念的に思い込んでいる人もいるでしょうが、
要は、使用目的と使用時の思いであり、
お金の収入経路による、良いダメ差別なんてしたら、お金が可哀想です。
なので、
素直に、お金が欲しいと思うのならば、
素直に、お金を肯定してください!
差別なくお金の存在を肯定してください!
お金を擬人的に愛してください!
一円だって、日本国民ひとりにつき一円づつ貰うことができれば、
総額で、約1億2500万円になるのですから、
もし誰かに、一円だけ貰ったとしても、嬉しがってください、感謝してください。
「 なんだ、、、一円か、、、一円なんていらんわっ! 」
なんて口が裂けても言わないで下さい。
この心がけは、
金持ち体質に成れるための、気持ちの調律みたいなものです。
お金は悪ではありません。
仏陀曰く、
多額のお金は、
心に住む毒蛇の眠りを覚ますキッカケになる可能性もありますが、
その毒蛇の正体とは、
悪寄りの使用目的と使う時の心境とその状態への執着心ということであり、
お金の存在自体が毒蛇というわけではありませんので、
そこんところは、しかと見極め区切って下さい。
いちいち、関連付けて考えないでください。
お金の存在自体は中立なものです。
ええ、
善なる目的で使用すれば、救いの存在、正義の存在にもなりますのでね。
ええ。