230205  巴里の白薔薇  永井荷風『ふらんす物語』 | 思蓮亭雑録

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 牡丹のやうな、大きな、仏蘭西の白薔薇である。自分は譯もなく非常に感動した。廣い巴里の都廣い仏蘭西の國に今自分を知つて居るものは、全く此の内儀一人。然し今宵此の都を去つて了へば其が最後で、少時にして二人は何も彼も忘れ果てゝ了ふのであらう。彼の女は時が來れば勝手に死んで了ひ、自分も亦何處かの國で病氣にかゝつて斃れて了ふのだ。世界は其の進歩の歴史に關係のない自分を知る事なく、此のマダムの白薔薇をも知る事なく、從前通り無限に過ぎ去って行くのであらう。 14f.

👼 1907年7月、荷風永井壮吉は花の都パリにやって来る。投宿した安宿の女将はリヨンへと去る荷風に白薔薇をわたす。
👹 この女将が「酒樽のやうに」太った赤ら顔で、おまけに黒子から髯が生えているっていうのがいいね。
👿 女優のような美女だったらむしろ漫画になってしまうからね。
👹 いかにも元気なバリのお上さんって感じのおばさんが白薔薇を差し出すってところに「非常に感動」させるものがあるね。
👼 『ふらんす物語』の荷風の筆致はロマンティックな感じだけど、こういうところにリアリズムとロマンティシズムが交差するね。
👹 パリに来て荷風の頭をよぎるのはモーパッサンやゾラなどのリアリズムの作家だね。
👿 リアリズムとロマンティシズムの狭間というのは、バタ臭い荷風が帰朝後江戸情緒に傾斜してゆくということを考えるうえで重要な視点かもしれない。
👼 さらに言えば日本の近代化を考えるうえでもね。
👹 バタ臭いと言えば、この白薔薇をめぐる荷風の感傷も何かバタ臭い感じがするね。
👼 日本の伝統的な無常感、仏教的諦念とは違う感じかな。
💩 うん。荷風の感傷には近代的な人間疎外に対する感受性があるような気がするな。ここでも個人に対比されるのは宇宙論的な無限ではなく、進歩する歴史の無限であって、それは有限を切り離した悪無限だ。帰朝した荷風が見たものはその悪無限に身を投じようとしている日本の姿だったのではないだろうか。

 

A Palestinian girl, warms up during training inside the first women boxing center in Gaza City on January 17, 2023. (Photo by Mohammed Salem/Reuters)

頑張れ!!