211023  全般化資本主義の危機  ボー『資本主義の世界史』 | 思蓮亭雑録

思蓮亭雑録

ブログの説明を入力します。

 したがって、第三次部門への産業の重点移行という見かけの背後で、現在進行中の現象の本質とは、「商品の全般化」という土壌肥料の上に開花したともいえる「全般化資本主義」の登場ではないだろうか。すなわち人体(機能)の商品化(健康投資や保健、血液、臓器、生殖力の売買、将来は人間の存在全体の遺伝管理という展望さえある)、社会的諸機能の商品化(教育と情報、知識、世論の管理、将来は政治決定、緊張関係および紛争の管理)、より高度な人間活動の商品化(科学研究、知識、知的・芸術的業績の追求、諸原則と諸価値の管理の展望)、人間の対自然環境との関係の商品化(汚染対策とエコビジネス、クリーンな生産と都市化、自然と地球の管理の展望)…などである。 390

 ボーはこの引用が含まれる最終章を90年代半ばになって書いた。ここで彼が指摘している全般的資本主義は、その後25年間進行してとどまるところを知らない。市場化-商品化という存在論的地平は単に拡大しているばかりではなく、深化し多元化しているように思われる。それによって登場した「新商品」の特徴をボーは、「物質性と非物質性をあわせもち、専門性の直接的介入、テクノロジーと技術性の高い内容をもった財の使用を複合した新商品」と特徴づけている。つまり、これらの新商品、あるいはサーヴィスは我々の身体、というか生命と精神に直接介入する。その介入を許すと、そして我々はその介入を許さざるを得ないのだが、われわれはもうそれなしに生きてゆくことはできない。しかも、これらの新商品に関して我々は消費者主権を維持することが困難になってきている。もちろん、「商品」は多かれ少なかれそのような性質をもっていた。しかし、これら「新商品」の威力はこれまでの工業製品の威力とは何か質的に異なるグロテスクな威力をもっている。
 商品は記号性を帯びている。例えば、自動車は所有者の社会的ステータスを表示し、そのことが差異化の欲望を刺激する。それは「新商品」も同じだ。スマートフォンの新しいモデルを先を争って求めるのは差異化の欲望の表われだろう。また、自動車は我々の知覚を大きく変えた。ITも同様だ。しかし、ITのもたらしたのは知覚の変化にとどまらず、新たなるリアリティ‐世界の創設ではないだろうか。この新たなるリアリティ‐世界は限りなくプライヴェートなものでありながら、限りなく他と繋がってゆく。しかし、それはどれほど拡大してもパブリックにはならない。我々はSNSによって巨大な井戸端会議の参加者となる。プライヴェートはパブリックを侵襲する。それは例えば、202116日に合衆国議会議事堂襲撃というかたちで可視化した。
 ITが新たなるリアリティ‐世界を提示できるのはそれが単に新技術の一部門にとどまるものでなく、それが諸技術を横断し包括する技術の技術であると同時に我々の日常と私的領域を包括するものだからである。医療技術によって我々は我々自身の身体の主権者であることをやめつつあったが、バイオテクノロジーはそれ一気に推し進めている。我々の身体は遺伝レベルレヴェルで管理され、商品化されているが、それを可能にしたのはITだろう。ボーの挙げる「社会的諸機能の商品化」、「より高度な人間活動の商品化」、「人間の対自然環境と関係の商品化」に関しても同様のことが言えるだろう。

 以上のようにITは私的領域を侵襲し、連結し、管理することによって「全般化資本主義」を推進する。全般化資本主義は資本主義的収奪の全般化であると同時に資本主義の危機であり、またその危機回避と資本主義の延命である。収奪の全般化というのはそれがこれまで商品化されなかったものも商品化されるということである。私的な妄想、欲望そのものが商品化される。それが危機であるのはまさにその収奪‐商品化の全般化によって資本主義市場はその外部を失ってゆくからである。それが危機回避、延命の試みであるのは、全般化資本主義はその非物質性において外部を我々の内部に開こうとするからである。我々の妄想と欲望とは無限であるように見える。それゆえ、この延命戦略はかなり有効であるように思われる。しかし、延命であるに過ぎないだろう。全般化資本主義は無限の領野に見える妄想と欲望とを馴致し、画一化し、その無限性を否定するのではないだろうか。いわば無限性は否定されて悪無限となる。
 しかし、全般化資本主義の悪無限の危機は同時に民主主義の危機でもある。馴致され画一化された妄想のプライヴェートがパブリックを侵襲する。パブリックなものの侵襲は民主主義を自壊させる。全般化された資本主義と民主主義はある種のチキンレースを演じているようだ。このレースを生き延びるためにパブリック、コモンを復権させなければならないように思われる。

 

Schoolgirls lookout after arriving at a gender-segregated school in Kabul on September 15, 2021. (Photo by Bulent Kilic/AFP Photo)

アフガニスタンのすべての女子生徒が安心安全で差別されることのない環境で学ぶことができなければならない。