201229  バロックと古典  ワイリー・サイファー『ルネサンス様式の四段階』 | 思蓮亭雑録

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物質世界を精神の内的構造に合致させる  これはデカルト的合理主義ではなく、均衡、等価、左右対称の心理学、調和、統一、一貫性の内在原理によって、バロックの素材を規制することである。同様に、この時代の演劇においても、アカデミックな「三一致の法則」  ルネサンスの批評家によって定められ、盛期バロック芸術に用いられて久しい  が新たな心理的意味を与えられ、芸術に新しい焦点を投げ与え、バロックの巨大な解放感にかかわる統制を、後期バロックに与えた。ボワローは三一致に心理学的法則の効力を与えた一人である。  「自制することのできない人間は書くことが決してできない。」真に古典的芸術においては三一致は自制の一つの形態であり、秩序本能であり、批評家の処方箋というよりは芸術家の直感である。319

 サイファーは上記の文章の前にレノルズを引用している。そこで、レノルズは「想像力は自分自身を源泉とするものは何ひとつ産み出せ」ず、それは「ものの本性の中に固定的に確立して存在している」実体を「喚起する」と云っている。そして、サイファーはこれを「盛期バロックの豊満な世界が、規律そのものが即ち「自然」であると考える規律社会に変化した模様を示している」としている。これは「古典」とは何かを考えるうえで大変興味深いことではないだろうか。サイファーは「後期バロック」という呼称について、「バロックの過剰を「規則性」を課すことで修正しようとする潮流とその行方をともに示しているという意味で」、「新古典主義」よりも優れているとしている。一般的に、新古典主義はバロックの放埓に対する「反発」としての荘重な「古典」の復興というように説明されるようだ。しかし、問題はそう単純でもないようである。つまり、ひとつには、バロックの過剰性は単に表面的なことではなく人間の二重性の緊張に対するひとつの回答であったとするならば、それへの「反発」といってもその「反発」自体が二重性の緊張」に対する対応を迫れているということである。また、そうであるならば「古典の復興」といっても、それは単に過去にあったものの再現ではなく、むしろ発見或いは更に言えば創造だということになる。ここには様式の本質的な問題がある。サイファーによれば様式とは対象物や経験を現実から解放する道具であった。換言すればそれは芸術家の自由な活動の空間をこの現実のうちに開くものである。いま、現実とは二重性の引き裂かれる世界である。「後期バロック」という様式は、芸術家が一旦その現実から解放されまたそこへと還ってゆくに古典に凝せられる秩序感覚をもってしたということである。つまり、古典的といってもそこにあるのは現代なのである。

 

 


Nicolas Poussin. Les bergers d'Arcadie