200708  生きた労働の弁証法  ネグリ『構成的権力』 | 思蓮亭雑録

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すでにみたように、構成的権力とは、なによりも危機を創造するものである。しかし、資本の社会化と凝縮の過程が必然的に引き起こすこの危機は、それ自体が創造的なものである。構成的権力の概念はつねに危機の概念である。しかし、危機の開口部(そして、たとえば権力の客観化、搾取、接収といった、この概念が包含する現実の危機の諸相)のなかに、まさしく創造的・解放的要素があるのである。すなわち、生きた労働とは、構成された権力に対立する構成的権力、したがって新たな自由の可能性の絶えざる開放でもある構成的権力にほかならない。生きた労働によってリズムを刻まれた構成的権力があらゆる活動、あらゆる相互依存の共産主義的再定義にまでいたる社会的協業の空間を規定する。それはまた、同様に、搾取の破壊と解放の発展へと開かれた時間をも規定する。358

 構成的権力は危機の創造としてそれ自身の糧であり、躓きの石である。それはそれは自分自身の再生産が資本が資本であるための条件であることの陰画ではないだろうか。労働という主体が協業という集合的な在り方に於いて生きた社会的労働として、資本という主体が押し付ける資本主義的客体化(疎外)から分離しますます対立し主体化する。しかし、それは資本という主体の再生産の過程でもあるのではないだろうか。労働の再生産は資本の再生産の必然的な過程である。資本という主体と労働という主体の関係において、労働はそれ自身が置かれている条件や生産物から疎外される。労働者の消費即ち労働の再生産の過程もこのような疎外のうちにある。だが、同時にそのような疎外された労働はそれが置かれている関係自体を転倒さえる物質的諸条件の生産でもある。このような危機神学的弁証法に於いて労働と資本という主体は単に統合されるというよりもいや増す対立のなかで相互に解放されるのではないだろうか。すなわち、労働は生きた社会的労働となることによって構成的権力の主体であり、それ自身が構成した構成された権力としての資本を解放するのではないだろうか。労働という主体が資本の再生産の過程で疎外されているのであれば、資本という主体もそのような労働の関係に於いて疎外されているのではないだろうか。生きた労働の刻むリズムとはまさしく生命のリズム、主体性の維持が創造的な破壊である生命のリズムではないだろうか。

 

Bulgarian migrants harvest flat nectarines, most of them destined for the German market, in Fraga, Spain, Thursday, July 2, 2020. Authorities in northeast Spain have ordered the lockdown of a county around the city of Lleida due to worrying outbreaks of the COVID-19 virus. Catalan regional authorities announced Saturday, July 4, 2020, that as of noon local time movement will be restricted to and from the county of El Segriá around Lleida which is home to over 200,000 people. Residents will have until 4 p.m. to enter the area. The new outbreaks are linked to agricultural workers in rural areas. (Photo by Emilio Morenatti/AP Photo)