「コヘレトの言葉」から思うこと | あるてみすてんぷる│大阪 箕面 ローフード&玄米菜食の料理教室、ヒプノセラピー ルーム 主催 | 沙羅のポータルサイト

あるてみすてんぷるの沙羅です。

 

聖書に「コヘレトの言葉」という章があります。

とても短い章ですから読めるのではないでしょうか^^

 

哲学的と言えば哲学的。

 

今の自分ではこの章を読んだ時、大爆笑をしてしまったのです。

それも読み進めるとニヤニヤとしてしまう。

 

何故そのように思うかというと、昔の自分を重ね合わせて読んでしまうからです。

 

越えると、笑える^^

 

最初から「空しい、空しい」と出てくるわけです。

暗っ!と(笑)

 

作者はソロモンとされていた時もあるようですが、

今では権威付けるためにそう書いたのであって作者不明とする説が有力だそうです。

 

ソロモンもやっちまった王様ですからねぇ^^

 

「空しい、空しい」だけでなく他にもたくさんありすぎで

ここでは載せきれないほど人生の苦しさを連呼します。

 

苦しいんだったら楽しんで生きればいいじゃない!

だって、楽しんで生きた人でも、真面目に生きた人でも、死は等しく来るんだから。

楽しく生きた方がいいじゃない?とか。

 

天の下に起こることを全て知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。

でもね、神はつらいことを人の子らの務めとなさったのですよ、とか。

 

「コヘレトの言葉」を読んでいると、仏陀の言っていることと一致することが

多いのです。

 

ダンマパダに「「全ては無常なり」と智慧にて観る人はよく苦をさとるべし。

これ安らぎにいたる道なり」(277)

「「全てのものは苦なり」とよく智慧にて観る人はこの苦をさとるべし。

これ安らぎにいたる道なり」(278)というものがあります。

 

先ほどまで友人と愉しく語らっていた人が、何か大変なことが起こると

人生の無常を口にします。

 

この無常というと、平家物語でも出てくるような「諸行無常」を思い浮かべる

と思いますが、諸行無常とは、自然現象や他人の行為よりも、

自分自身の存在と自分の心が定まらず自分自身の移って定まらない心を見つめなさい、

という教えを説くのです。

 

無常とは移り行くことであり、どんどん変化していくのです。

 

「観の目で観る」とか「智慧の目で観る」ということをすることが

必要になるのですが、とかく止まっていてはそれができなくなってしまいます。

 

じっと考えることは考え、考えたこと、要は自分が正だと思うこと、

真だと思うことを動いてみる。それには学び続けなければいけませんし、

動き続けなければいけないのです。

 

じっと悩む、ということも必要ですが、どうか動的なことをしながら

変化を楽しんでくださいませ。

 

ある意味、変化がなければ自分の人生「コヘレトの言葉」通りの人生を

歩んでいるんだと思われたらよろしいかと^^

 

「コヘレトの言葉」を動くための鼓舞激励された言葉として受け止められたら

最高だと思うのです^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

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