ブログ休止宣言をしたものの、どうしても書きたいことは出てきていて、でもブログを書くわけにはいかなくて、別なところに書いて保存しておいた。
私にとってブログって自分の記録なので、これも書き留めておこう。
あとで自分で見て意味がわかったりつながることあるかもだから。
8月上旬からずっと自分を責めていた。
十字架を背負って生きるように言われた。
私が・・・、息子に、十字架を背負わせたんだ。
私が悪いんだ。
私は母親として何をしてきたんだ。
何を見てきたんだ。
許してもらえない。
どうしたら許してもらえるんだろう。
何をしたら償えるんだろう。
そんなことを考えていて、よく自分と対話していた。
紙に書きながら。
そしたら時々そこからメッセージがやってきて。
そういうことも書いておいた。
で、こういう今の生活で起きていることって、前世の奥深いところにあった魂の記憶の再生のような気がしていた。
8月24日
許すというのは、誰かに許されるとか許されないとかそういうことではない。
「誰か」ではない。
あなたが自分を許さなければ、誰があなたを許せるだろう。
もう自分を責めるのはやめなさい。
もう十分苦しんだ。
許してもらうまであなたは何もしないつもりですか?
では許してもらえなかったらいつまでも同じ場所にいるつもりですか?
それが何かの解決になりますか?
それが誰かのためになりますか?
十字架を背負って生きるとはそういうことではありません。
あなたがした罪を、一つずつ軽くしていくために、誰かのために、何かのためにあなたができることをしていきなさい。
人に喜ばれることをしなさい。
それが罪を償うということです。
ただそれはあなたが犠牲になって、あなたの血と肉を分け与えなさいという意味ではありません。
そのようなことは神も誰もお喜びにはなりません。
真実を生きなさい。
真理を見つけなさい。
あなたは何のために生まれてきたのか、それを探求しなさい。
答えはすぐそこにある。
もうすぐたどりつくだろう。
そしてあなたが忘れてはならないことがある。
あなたを許すのは、
神でもなく、
他の誰かでもなく、
あなた自身であることを。
・・・・・・
一番難しい。
自分で自分の罪を許すって。
これまでどうしても許せないという人がいたとして、その人を許せたら私は自分も許してもらえるのかなと思っていた。
でも今マリア様とキリストから言われたのは、そうじゃない。
まずは、自分が自分を許すこと。
一番難しいことかもしれない。
どうしても許せないと思ってきた人を許すよりも、自分を許すことが難しい気がする。
だからこそ、きっとこれが大きな意味を持つんだろうと思う。
多分、前世からの思いもかなりある。
今の出来事で、それを自分にすることが出来たら、それがつまり、前世の自分を助けることにもなるような気がする。
つまり、
自分を許す、
罪の意識から解放してあげること。
難しいからこそ、テーマなんだろう。
今世での、私のテーマの一つ。
「許す」
ありがとう
ごめんなさい
愛しています
許してください