本音の話をしてきて…
もう自分の夢など叶えなくてもいいや、
別にもうこの地球に未練はないし、
な話にまで行き着き…
結局、
誰かのために、
生きようとしているよね、
誰かのためなら、
頑張ろうとなれるよね、
な結論になって行きました。
お母さんなら、
子供のために頑張って働けて、
辛くても死なないと決めていたりしますよね?
そんな風に、
誰かを幸せにしたくて、なら、
生きていこうと思える、
自分の祈りよりも、
ああこの人が幸せになれるためになら、
毎日本気で祈れるよね、
と、話し合いました。
今、まりあが死んだなら、
母や父がやはり、がっかりするだろうな、
今、まりあが不幸になったなら、
やはり、悲しむだろうな、
それよりも、喜ばせたいな、
で、生きている、
幸せでいようとしている、
事を改めて自覚しました。
親がなくなっても、
またその、誰かが、
またその、誰かのために、
となると思います。
猫のたぽが生きている限り、などね。
彼女は、
まりあの母と重なることがあることに、
二人して気がつき、
母の気持ちが痛いほどわかる彼女は、
まりあさんのお母さんのために、
祈り続けます、
まりあさん、言ってたよね?
人のために祈ることの方が、
叶いやすい、純粋だから、
と。
それと、
願いは、意外な形で、
想像していたのとは、違う形で、
叶う、とも。
そうなんですよね、
こんな風に叶うのかな?
の見ていた方向と、
真逆の、
後ろっから、え?そっち?
え?そうなるか!
の方から叶う。
そして…
やはり、
俄然、やる気が出るのも、
勇気が出るのも、
本気になれるのも、
誰かのためになら、なんですよね、
誰かのためになら、動けるのでした。
そうすると…
愛、で生きている。
のですよね、私達は。
誰かを幸せにしたくて。
いつも思うのです。
今回の東京行きも、
やはり、誰かのために、動いた、
なんです。
クライアント様が自分のために、
自分を幸せにしたいとしてても、
やはり、
私がもし、そうならなかったら、
まりあさん、がっかりするよね、
まりあさん、私の幸せ報告、待ってるのに、
よし!まりあさんに、
こうなったよー!の幸せの姿を見せる、
結果を出せるようにしよう!
って、励んでくれているのよ。
そして、
まりあ自身もまた、
なぜ、幸せに生きるのか?
運良くなり続けようとしているのか?
またそんなことをブログに書いているのか?
別に自慢したいのではなくて
全く同じ理由からなんですよね。
誰かの希望になるために。
可愛いたぽ。
まりあ