クリスマスにちなんで。わかって欲しいよりも、良くなる方にシフトしよう! | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

同情と共感は異なります。

の記事で


「わかって欲しい

わかってもらいたい

この想い」




汲み取り

わかってあげられる

わかる


ばかりでは

進化ない

進めない

幸せになれないんですよねー。


いつも感じるのですが、、、
わかってもらいたいと思う前に、
拷問のような日々を味わってきた極限の心境なんて、
通常の人たちには、到底、わからないだろっ、
とまりあ、
自身のことを思ってきたので、、、
理解の期待を放棄してきたので、、、

逆に、
ものすごく理解しようとしてくれたり、
優しくされることが多かったので、
びっくりしたのです。


つまり。


わかってもらいたいと、期待すると、得られない。

が、しかし、

期待しないでいると、
いつの間にか、得られている、


まさに、

ここでも、
宇宙の法則通りなんです




好かれたい、好かれたいと頑張るよりも、
放棄して超越してるほうが、好かれてたりしますよね。



なお、
理解してあげたい、は、行き過ぎますと、
同情の傷の舐め合いに過ぎなくなり
また、共感よりも
同情と言う言葉の定義に陥ります。


共感し
そこから
幸せになれた、シフトできた
導きこそ大切であり

抜け出せた人にしかそれは
どうやったらそうなれるのか?
伝えることはできません。


こうしたら、
もっと幸せになれちゃったよーん。

こんなふうにしたら、
天を味方につけて、奇跡起きて良くなっちゃったよーん。


こそ、


示すことこそ、

大切なのです。


ゆえに


「それ、


かなしいと思い込んでません?」


「それ、

辛いと思いこんでません?」


「それ、

腹立つと思い込んでません?」




次は

共感ではなく


「それは、
実はかなしいと当たり前に感じる必要はないかもしれないんだな、」

「それは、
実は悔しがる必要はないんだよな、」

「それは、
実は腹立つのは、あなたの主観にすぎないかもしれないんだよな、」


を示すと

あれあれ?

と相手はそうなり


「実はかなしいことでもなかったんだ、」

意識の差で、
あまり悲しがらない人もいるんだなぁ、
実は悔しがらない人もいるんだなぁ、
実はそんなことで腹立たない人もいるんだなぁ、

に、

気がつけると、、、


軽くなります。


これを、



岡田さんと言うカウンセラーさんはされてこられておられます。
あの子宮委員長のはるさんのご主人ですね。


「え?
それ、かなしいの?
かなしいと思い込んでません?」


あえて

宇宙人の如く、
疑問を投げかけろ、

と、です。


これ、

似たようなことを、
うまく、
心屋さんもしてこられておられます。

卓越した心理のカウンセラーさんたちは、

敢えて、その方の頭を混乱させて、

「親に愛されてないと、どう見ても、そう判断してきたのに、もしかして、違った?」
と、

根本から、根底から覆してしまうわけです。

あ、
引き寄せの法則の、
エイブラハムもされておられますよ!!!!


圧巻だったのは、
ベトナム戦争で兵士として、その罪の意識で苦しんできてトラウマになっている方を、
覆す瞬間です。

苦しむのは、あなたの主観に過ぎない。


これに付きます!





すると


かなしみの増幅を止めることができるからです。


そりゃ、かなしいよね、
かなしいよね、
かなしいよね、


では、

増幅をあおってしまうので、

かなしい感覚の波動が広がってしまうので、

止める。



すると

かなしいのだけども、

視点を変えてずらしていくと、、、


かなしみが

縮まり、、、


素敵なことに視点をフォーカスしだします。


親を、子供を、つまり、身内を亡くした、かなしい、

から、

それまでしてこなかった天使と対話する、に、目を向けて、、、

それがたのしみ、、、

すると、

不思議なつながりに気がつけて、、、


現実化も
愉快なことが起きだします。


生前よりも
深いつながり、愛、上手くいく感覚になれるわけです。


このところ、
溜まっていた仕事をこなしているので
補足として
一気にお伝えしました。







クリスマスは


毎年伝えておりますが

一つ前の記事の動画も伝えておりますが、



華やかなことがなくてもできなくても
さみしいと感じる必要はありません。
そう感じるのは他ならぬそう信じ込まされてきた、思い込みであり、
主観です。

イエスが生まれたのは
貧しくて馬小屋でしたから。


いいですか?
馬小屋で、ですよ。
家で産めなかったんですよ。

温かいお湯もなく。
充分な布、、、タオルなどのものもなく。
危険極まりない
野生的な場で。


まともに人としての待遇も受けられなかったところで。




彼の生誕を思う日ならば

断食の日にしても
相応しいほどです。笑笑


ね?

クリスマスなのに、
ケーキ食べられなくて
さみしいよね、 


よりも、、、


え?



ケーキ、食べられなくて
さみしいですか?


なのです。


ケーキ食べる日って、
誰が決めたんですか?
思い込んでません?


なんですねーーー(╹◡╹)♡



もちろん


イエスは

楽しくケーキ食べてる姿も微笑みますよ。

ああ、庶民がケーキ食べられる世の中になれて良かったなあ、

とね。

でも

ケーキ食べられないあなたこそ


イエスの言葉


貧しい人は幸いである。
天国は彼らのものだからだ。




このように
イエスは
共感として
貧しい人にこそ
寄り添いました。


お金をたくさんイエスに持ち込んだ人のほうが
それでは天国には入れません、
とイエスに言われて
そ、そうなのかあ、、、と、
すごすごとかなしみ帰ったわけです。
理解しないとならなかったわけです。


そのことを

なぜ

知らないのです?



その意味のために

クリスマスがあるんですよ。


本末転倒にならないようにね。


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だから


あなたのかなしみ

それ、

真実ですか?

それ、

かなしくて当たり前だと思ってませんか?

もしかして、違うかもよ、


なんですねーーー

(^_-)



そしてね、


かなしいと感じていいんですよ。

かなしい、さみしいと感じたらダメだ、
と思うから
苦しいわけ。

それこそ、
こんな気持ちになってはいけない!
と思い込んでません?





まりあ