引き寄せの法則ですべてを天が宇宙が叶わせない理由。 | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

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「なぜ、引き寄せの法則でも、願いが叶わないのですか?」

10月の守護天使の日に書いていたものを、ここに貼り付けます。↓

「宇宙は、良いも悪いもないから、イメージしたら、そのまんま、こちらが、快適、不快的関係なく叶うから、今の現状を実現させていると言いますが、それは、理解できます。

今の私の不快に感じる事柄は、私の過去の普段の想念だったり、波動のせい、選択のせい、だと、認識しています。なお、素直に認識もできます。

しかし、本当に、完全に潜在意識からも、願えて、その感情を正しく送りだすと、すべて叶うのですか?

違うのではないですか?

「まったく、ネガティヴな感情を送り出してもいない赤ん坊が、虐待される現状を、その赤ん坊が自分の波動のせいで、作り出していると、言えるのですか?

統合失調症の患者や、認知症の患者が、潜在意識からも、本気で天皇陛下が会いにやってくると、信じているのは、何故、叶わないと説明出来るのですか?」


みなさん、引き寄せの法則について、
こんな疑問を感じたことはありませんか?

まりあはありましたよ!大あり!でしたよ!
誰かこの質問に答えてくれー!と。

まりあは、引き寄せの法則のコーチでも、講師でもありませんし、引き寄せの法則だけを、信奉しているわけでもないです。
統合的に見ていきたいアーティストであり、カウンセラーですから、その見解で伝えます。


私はそれすらも、「魂の計画のイメージ、引き寄せが、叶っている、」と見ます。
その人の心ではなくて。
最終的には、心よりも、魂がゴーサインを出している方が、叶うと見ています。
しかしながら、同時に、心が無理矢理叶えていて、魂の願いに反したまま、生を終えることも、ざらにあります。

ただ、
今、そのLevel、段階での心のすべてが、叶ってしまうと、魂が困る場合は、叶わなくなると見ています。 

「悟ってから、叶ってね」
「バランスも見ようね」
「もう少し、先に進んでからね」

と、言っている訳です。
敢えて、叶わないように邪魔してくれています。

キリストは、ハッキリと処刑されるのを意図して、イメージしていました。
そして、果敢にその道を歩みました。見事に引き寄せました。
あくまでも、「その願いの為に、処刑する人がいていい、いた方がいい、」と言う訳ではありません。キリストだって、嫌なのです。
「凄いなぁ、命よりも大切なものって、あるのだなぁ」「自分の大切な命よりも大切なもののために、死ねる精神性の高い人もいるのだなぁ」「凄いなぁ、武力も富も持とうとしない人もいるのだなぁ」と言った、人々の精神性をグンと高める、進化への気づきをもたらしていきました。
ここが、キリストの狙いであり、使命感を持っていたようでした。

ですから、
スピリチュアル的な感じ方で
その赤ん坊の、魂の壮大な計画を感じずにいられませんでした。
虐待を受ける覚悟が、魂にあったからとて、実現させたからとて、そんな世の中であっていいと言っているのではなくて、あくまでも、逆に、こう、投げかけています。

「虐待する部分があるのは、まだ、この世は、天国ではないですよー、さぁ、天国になれるように、進化していけるように、赤ん坊が虐待されなくなるように、その親たちを救い、教育していこう、防ごう、赤ん坊の権利を持たせよう、」の、素晴らしい働きの為に犠牲になってくれています。

統合失調症や認知症の患者達にも、その魂の壮大な計画もあります。

どちらも、ある意味、偉大な人達なんですね。

統合失調症や認知症は、脳の正常ではない働きのせいは、確かにあります。アッサリとそこは、認知し、治る道はあっていいです。
なお、よくある、「天皇陛下が会いにやってくる、」
と本気で言い出して、信じている認知症の方々の
、天皇陛下に会いたい願いは、心の執着であって、魂の願いとは違います。
だから、叶わなくていいのです。

顕在意識だけではなく、潜在意識もブロックがなく、許可を出して、何の抵抗もなく、イメージしたら、叶うと言う引き寄せの法則は、ここでは通用しないのは、魂の目的ではないと言うブロックが入ってくれるからではないかなー、と感じました。

人が、「どんな願いも叶う」となり、豪語し、尊大になり過ぎる場合は、天が制止します。どんなに恐ろしい権力者が世界制服をイメージして、どんどん急速に広がり叶えていっても、やがては破滅します。

「イメージさえすれは、いいー、」と、これまた、自然に反して、ゴリ押しですべてを叶えようとしても、待ったをかけてくれるのです。

すべては、絶妙なバランスです。
不自然になりだすと、叶わなくなっていきます。

病気になることが、怪我をすることが、不運な目に遭うことが、悪いことではないのです。
短絡的に判断するものではないのです。
もっと、深い計画が魂によって、なされていることがあるからです。

なお、魂から外れたから、そうなった、気づきの為の不運な事は沢山あります。
ただし、それすらも、同時に、素晴らしい気づきを得る為の計画でも、あった訳です。
「気づけば、避けられるのだ」と言う希望も、同時にあります。
気づいたらもう、学ぶ必要がないので、瞬間にそれが終焉します。
瞬間に、回復しだしたり、運が良くなったりします。

あるいは、敢えて、テーマとして、回復させないことにより、違う役目や働きもあります。「難病でも仕事はできるのだよ、」と伝えるために、な人もいていいのです。

ですから、冒頭の言葉や以下の言葉は
言葉足らずだなと、私はよくそう思います。

「願えば、イメージすれば、すべて叶う。叶わないものはない。」
「どんな病も完治する。」

間違ってはないのですが、心と魂の違いを感じ取り、多角的に見て欲しいのです。


ある人の魂が、50歳で死ぬと決めていました。
しかし、生まれ変わりの境地により、70歳まで生きられました。
そういうことはあります。そんな時、奇跡が起きたりします。

50歳の寿命を、延ばせたのです。
しかし、その寿命で終えてもなんら構わないのです。

次、また、生まれてきたらいいのですから。

生きながらにして、一回、その心…思い違いを終える、心の死を迎えて、心が生まれ変わることがあるから、奇跡の生還が起きます。たいていは、エゴからやってくる願いに執着していたことから思いっきり、解放させる、手放すことです。

ただし、勘違いしてはならないのは「また、生まれてきたらいいんだろ、」と、その人の寿命を勝手に、他者が決めつけて、殺してはならないことです。
殺した人がまた、カルマを生み出し、自由の道が閉ざされ、邪気に支配されてしまいます。
殺してはならないし、逆に生まれ変わりも貰うことなく、他者が、無理矢理、延命させてもならないのです。
魂の計画は介入してはならない、です。決めるのは、天だからです。あなたの晴れ晴れとした境地、気持ちのいい感覚の自由のために、介入してはならない。介入されないために。天が決めたことは、同時にあなたの魂も決めていたことなので、天に支配されている訳でもありません。


まりあ