
実は、日本ではあまり馴染みのない天使で、私も知りませんでした











































今年は、おかげさまで500件近いご相談を頂き、スピリチュアルリーディングを行なってきました。
常に、その方にとって必要な気づきが用意され、必要な癒しが起こるのを目の当たりにして、
自分を含め、すべての人の気づきがもっと加速したら良いなとシンプルに感じています。
時代はそのような流れにありますが、私たちの本質について、知るきっかけがなかなか身近にないのも現実です。
様々な出来事に一喜一憂することは、とても大切なことで、素敵なことですが、
それが苦しみだと、時にとても辛く、出口のない迷路のように感じてしまうこともありますね。
ですが、その辛さはすべて自分の内側だけで起こっていて、実際の現実が辛いわけではないということを何度もお伝えしてきました。
つまり、良い悪いのジャッジはすべて自分の内側で起きていて、出来事自体はただの事象であるということです。
そこで、今日はとてもわかり易いお話が届きましたので、こちらでもご紹介させて下さい
スポーツドクターの辻 秀一さんはご存知でしょうか?
マインドの仕組みを理解して、人生を生きやすくする講義をされている方で、スピリチュアルな本質を解りやすく、受け入れやすく説明されていて、私の尊敬する方のお一人です。
気づきの根本に繋がる良いテーマのお話なので、以下、転載しますね

『意味ないことに意味づけしている!』
認知脳は外界に接着して行動を決定していくのだという人の普遍的な仕組みがあります。
それは人として大切なことで、それができなければ仕事や勉強や社会生活ができないことになります。
一方で心の状態にとってはこの認知脳が外界のことを持ち込んでしまうことになり、揺らぎや囚われが生じてしまうになるのです。
その持ち込みシステムの張本人こそが認知脳の外界に対する意味づけだと考えられています。
それは、本来は外界のすべての出来事に意味など付いていないにもかかわらず、過去の経験に基づき自分固有の意味付けを形成しまうということ。
この意味付けシステムによって、心に揺らぎや囚われが起こっているのです。
雨を認知すれば傘をさすという行動をとります。
ただそれだけでいいのに、雨だと嫌だなあとか憂鬱だなと心はノンフロー状態になってしまうことはないでしょうか?
それは今までの経験により雨は嫌だとか憂鬱だという意味づけを形成してしまっているからで、嫌だとか憂鬱だなどという雨は降っていないのです。
雨はただ水が落ちているだけなのですが、そのような意味付けを脳がしてしまうわけです。
電車に乗り遅れれば残念とかチッってなりますが、ただ電車は待てばいいだけであって、残念などという電車は走ってないのです。
ただ山の手線ならいつも3分から5分毎に来て行くだけなのです。
そこに、認知脳は行動決定とは別に意味付けするという“とてつもない” ことをしでかしてしまう仕組みが同時にわたしたちにはあるのです。
決して意味付けしないなどという人にはなれませんが、まずは意味の付いてないものに意味付けして人は苦しんでいるんだ、そして自分もその例外ではないんだということを知ることがすべての始まりなのです。













