おはようございます
昨日は、子供たちによく『おばさん』と言われた1日でした![]()
まぁ、おばさんだから仕方ないです。笑
でも、
いわゆる小学校の普通級の子供たちがわらわらと寄ってきて、1人が言いはじめると皆んながふざけ始めてマネする感じ、
あの感じとは少し違うんですよね![]()
1人1人がそれぞれのタイミングで、日々の関係性の変化の中で、
構ってくれたり、構ってほしかったり。
にやにやしながら
『おばさん』
と言って私の反応をみて。
何気ないその繰り返しだけれど、
そんなやり取りの中でも、
きっと心の距離がはかられているのかな、
なんて感じてます![]()
『はい、おばさんです、何か用ですか❓』
と言ってくすぐりながら詰め寄って、
おばさんは夜はせっせと美容液塗ってますよ。笑
昨日は、とある男の子が感情的になって、教室から外れていた時がありました。
入ってはいけない部屋に行ってしまい、初めて私が注意しました。
守備が固い子なので、いつもそうなるとベテランの先生が対応して下さり、私は遠くから見守ってるだけでしたが。
ベテラン先生は、もう1人勝手に入ってはいけない部屋に隠れてしまった子の対応をしていたすぐ隣りでの出来事だったために、
その子が入っているのを見過ごすことはできないかな、と思い、私が対応に入りました。
なかなか口の悪いその男の子、
私が声掛けすると、予想通り、更にヒートさせて、目に涙を浮かべながら
『うっせーババァ!!デブ!!死ね!!』
と言って、その部屋から出ていきました。
最近、このパターンをようやく少し冷静に受け止められるようになりました。
暴言自体はひどいものですけれど、
部屋からはすぐに出てくれてるのですよね。
その子の中には、(表層意識でない深いところ)私の注意を受け入れなければならないと思っていることと、
注意されて【傷つけられた】と感じて、その心を守ろうとする部分と、少しの警戒と。
そんな色んなものが、エネルギーという反動、まさに反射的、に暴言という形で出てくるんだろうなと感じてます。
私が理解してあげられない、感じてあげられない過敏さもきっとある。
こんな時に、【個のわたし】は
どうやって寄り添ってあげられるだろうか、
どうやったら彼のためになるかと考えます。
(これが不正解、という話ではない)
でも【個のわたし】から離れた【大きな意識】として、その事象を眺めてみると、
その状況に私が存在していること、それだけで良い
愛の視点で状況を見て、そして見守っている
それだけで充分なのだと気付かされます。
コントロールを手放したその姿勢に、
次の叡智は、必要なタイミングでもたらされる。
そのことを理解させられます。
あとは、頂いた叡智を勇気を持って実行させるのみ。
その子の成長は、その子が決めたタイミングで必然的に起きていく。
フォーカスのベースが【個のわたし】ではなくて【大いなる意識】にシフトしがちな最近は、
すぐに忘れてしまうんですね。。
(マインドが消えてしまう)
ひどかった言葉のナイフも、私に突き刺さる前に、ふんわり何かに包まれて溶けていってしまいます。
なので、後からその男の子が先生に連れられて
照れ臭そうに私の前に現れたときには一瞬何のことだかわかりませんでした![]()
可愛らしい笑顔に涙を浮かべて、
『先生、さっきはごめんなさい』
と言いに来てくれました![]()
そこで起こる小さな感動が
【個のわたし】に引き戻してくれました。
【個のわたし】はいつも、
何か自我の訴えとか、心の葛藤とか、
そんな、自分に圧をかける時に表れるのかと思っていたし、
実際にこれまではそうだった。
けれど、療育現場の子供たちからは、その反対もあるんだよ、と教えられているみたい。
私も、そんな子供達みたいに純粋に伝えられたらいいのにと思います![]()
『あなたに出逢えたことが
ほんとうに嬉しくて、
ありがとうって伝えたいんです』
と。
でも、現実世界は容赦ないですね。
だって、、
おばさん、
ですもん。。
おばさんにそんなこと言われても…
っていう自我が叫んでます。笑
ドラマが絶えない毎日ですね(生きる喜び
)