今朝、相模原の障害者施設での凄惨な事件を知りました。

そして、私は今日一日の予定をこなすためには、その現実を受け止めることを拒否していたようで。。

そんな中でも、無意識のうちに母親にだけはメールを送っていました。

障害者施設に入所している妹が大丈夫なのか、と。

夕方、テレビをつけてみると、再び現実が胸の中に飛び込んできて、それからは、必死に何かを堪えている自分がいます。

昔からそう、

忘れもしない映画『シンドラーのリスト』を観たときも、

無抵抗な人達が痛い目にあうようなニュースにも痛い程に反応してしまう自分がいます。


まして、障害者を持つ家族として、胃をえぐられるような今回の事件。。



私はワンネスの途上、

"この命は、私のものではない"

ことを知りました。

本当は、大きな源であり、存在の全てが一つの命そのものであって、

私たちには、この身体があったり、様々な概念や意識があるせいで、

この命がまるで自分のものだと錯覚しているということに気づいたのです。


それなのに、

それでもやっぱり、

現実に起きる"死"に対して、

こんなにも悲しみが襲いかかるのは何故。。


命の仕組みはわかっている筈なのに。。


奪われてしまった尊い命が光に還るようにモクシャをして、

そして、

聖母マリアに聞きました。

「この背景にはどんなメッセージがあるのですか?」


聖母マリアは、"哀しみもあって然り"ということをキリストの存在を通して視せてくれました。

私はクリスチャンではありませんが。。

キリストが受ける苦しみをマリア様も共に感じていたことをまず知りました。

それだけで、僅かに私の心は救われた感じがしました。

"哀しんでいる"

状態から、

"哀しみがある"

という状態に変わったような。。


そして、メッセージを頂きました。

「あなたは、神の目を通してこの状況を見ることができます。

あなたがそう選択すればいいのですよ。


苦しいときには、そう願い、祈りなさい。

どの状況にも光があるのですから、次第に光の側面を感じられるようになるでしょう」



悟りの空間と、現実の意識の狭間で、

私は今、ひたすら祈ることしかできなさそうです。


亡くなられた方とご遺族の皆様に、謹んでご冥福をお祈りします。

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