Rayです。
読んでくれてありがとう。
娘が自殺したことで、
私は自分のとんでもない過ちに気づきました。
それは、二つある。
一つは、
娘が自殺する前まで、自殺した子の家族を崩壊した家族だと決め付ける偏見を持っていたこと。
二つ目は、
娘が自殺したことで、世間が私たちの家族を崩壊した家族だと決め付けるのではないかと不安に思ったこと。
自分が自死遺族になった時、
私は娘の死を悲しむだけでなく、
自分のこの先が不安で苦しんでいました。
(自分のことかよ!っと呆れてやってください。でも事実です。)
自分が過去に持ってた偏見と同じように、
世間も偏見を持ってると決め付け、恐れていたのです。
自分を苦しめていたのは自分でした。
自分がそんな偏見を持ってなければ、不安は生まれません。
自分の愚かさを呪いました。
実際は、私の知る限りの自死遺族の方は、
子供を愛し、幸せな家庭を築いていた。
そして、私の周りの人たちは、
私を責めるどころか優しく私に寄り添ってくれた。
本当に申し訳ないことをしました。
本当に失礼なことをしていました。
私は、過去の行いを猛省し、
同じ過ちを犯さないよう、誓いました。
気づいたことは、やめられます。
気づくと「やめよう」と決められるから。
気づけてよかった。
もし今まで気づいてなかったらと思うとぞっとします。
娘の死が気づかせてくれたのです。
そして気づいたご褒美がありました。
批判も偏見も怖くない自分を手に入れたのです。
もしも批判や偏見を持つ人がいても、
批判も偏見も過去の自分が手放したもの。
あなたも手放せるといいねって
その人の健闘を祈るだけ。
自分を苦しめるだけだからね。
批判や偏見が怖いなら、
自分が批判や偏見をやめればいいだけなのだよね。
失敗は学び。
失敗させてくれたこの世に感謝。
気づかせてくれた娘に感謝。
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